戦前期日本の精神病院における収容と治療・1

岡田靖雄先生は、東大精神科を卒業し松沢病院で研究されたあと、精神医療の歴史研究に打ち込み、日本の精神医療の歴史研究を今日の水準まで高めた立役者です。他の研究者に対する時として苛烈な批判にもかかわらず―いや、それだからこそ―多くの研究者に尊敬されている偉大な教師です。だからこそ、岡田先生のコアになる主張を批判する論文をいま書いてみよう、そして岡田先生に査読されてみようと思っています。書き始めの断片部分です。まだ引用しないでください。

 

 

 

戦前期日本の精神病院における収容と治療―患者名簿・症例誌に基づく岡田靖雄説の批判

 

 この論文の目標を敢えて論争的に設定すると、岡田靖雄による戦前日本の精神病院の収容と治療の機能についての見解の根本的な不備を指摘し、岡田が用いていないタイプの史料を組織的に分析して、岡田とは異なるモデルを提示することである。より具体的には、岡田が1985年に発表した「戦前の日本における精神科病院・精神科病床の発達」という論文の結論である「精神科病院は治療の場ではなく、やはり収容の場だったのである」という主張は、戦前日本の精神病院の一つの側面を全体像と取り違えたものであることを示し、戦前日本の精神病院は治療も重要な機能として収容と併存していたこと、1930年代から40年代にかけては、むしろ治療を目標として精神病院を利用することが数的に優勢になっていたことを論ずるものである。

 岡田説を批判する文脈でいえば、この論文の見解は、岡田が用いたのとは異なったタイプの史料の分析による裏付けを伴っている。岡田の論文は、それぞれの年ごとの精神科病院の定員や入院者数という静態的な数値を用いており、精神病院の機能が治療でなく収容であったという本質的な主張については、エピソードと個人的な経験という印象論的な証拠に基づいている。それに対し、この論文は、精神病院の患者名簿に記されている入院年月日と退院年月日から計算される在院期間という動態的なデータを一つの根拠とし、もう一つの根拠として、患者の症例誌に記されている、入院期間中に何が行われたのかという記述の組織的な分析を利用している。患者名簿と症例誌という二種類の史料は、岡田を含めて日本の精神医学史研究が殆ど用いてこなかったタイプの史料であるが、それらの史料を用いて、戦前日本の精神病院の機能が、岡田が主張し、現在では研究者だけでなく一般の人々にとっても標準的なものとして受け入ている見解とは異なった図式を描くことが、この論文の狭く定義された目標になる。(続)