コレラの俄踊り


 コレラ文献の山の中から、岡山のコレラ流行時の民衆の対応についての論文を読む。文献は、太田健一・永谷美樹恵「文明開化とコレラ騒動―幕末維新期の岡山を中心に」新田義之編『文化のダイナミズム』(東京:大学教育出版、1999)

 色々な意味で私が共感するところが多い論文だったが、昨日記事にしたパリのコレラ仮面劇とも通じるところがある、岡山県の民衆のコレラ踊り、コレラ狂言を論じた部分が最も面白かった。幕末から明治初期にかけてのコレラ流行時には、「コレラ祭り」が行われた。岡山の記録は、1858-59年の全国各地で起きた大規模な流行のときのもので、ペリー来航以来の混乱と社会不安、地震や旱魃、米価の高騰などを受けて生じた、民衆の不満と不安の狂乱的な表現であると捉えている。この時期の岡山の城下では、コレラ退散を願う祈祷などが行われ、これらは町役人たちが裃を着用して出席するようなフォーマルなものだったが、それと並行して提灯と灯篭をともし、太鼓を乱打してお囃子にのって人々が裸体になって烈しく踊り狂うというものであった。この手の踊りを「俄狂言」と称し、文久二年、明治十二年にも繰り返された。後者のときは、なんと、「ええじゃないか」と叫びながら踊る輩も現れたという。彼に「そのステップはもうフルいですよ~」と言った若い踊り手はいたのだろうか。 いまどきクラブに行って、トラヴォルタのまねするようなものだからなぁ・・・ (笑) 

 画像は、明治10年のコレラべからず集。