L.A. の移民と公衆衛生

サンフランのチャイナタウンに続いて、LAの移民の研究書を読む。文献は、Molina, Natala, Fit to be Citizens? Public Health and Race in Los Angeles, 1789-1939 (Berkely: University of California Press, 2006).

 昨日記事にした書物が、チャイナタウンの中国人を取り上げていたのに対して、本書はロスアンジェルスのメキシコ人、日本人、中国人を取り上げている。重心はメキシコ人にかかっているが、他の二つのエスニックマイノリティの記述も充実している。複数の民族を研究することで、異民族が差別されていた過去を単純に弾劾するのとは違った、民族・人種概念の複雑さと流動性が明らかにされている。19世紀から20世紀のアメリカにおいては、「白人」と「黒人」というニ項対立は日常的なものであった。LAに集まったメキシコ人、日本人、中国人は、「非白人」という中間的なカテゴリーを作り出した。アングロサクソン系の白人、その下に東欧から移民したヨーロッパ人、その下に「メキシコ人」が置かれ、さらにその下に日本人・中国人のアジア人が置かれ、最下層に「黒人」が置かれる階層が作り出された。20世紀の初頭までは、メキシコ人は、アメリカに同化する可能性がある民族として捉えられ、日本人はその可能性がない、永遠に劣等市民でありつづける集団へと分類された。しかし、1930年代の大恐慌期の白人の大量失業を背景に、メキシコ人にも厳しい人種差別的な政策が行われたという。その過程を、公衆衛生の視点、特に、病院やクリニックや衛生インフラなどの公的な設備をどのように配分し、どのようにアクセスを設定するかという視点から研究している。

 昨日取り上げた書物は、1930年代にサンフランの中国人たちが、アメリカの市民社会への道を進む、基本的にオプティミスティックなストーリーだったが、これはLAのメキシコ人たちの挫折という暗いストーリーである。どちらが正しいのか、あるいはより一般的なパターンなのかは、私にはもちろん判断できないが、後者のストーリーは、よりニュアンスと複雑さがあって、洗練されている印象を持った。