釣師清治

 未読山の中から、疱瘡の歴史についての軽い本を読む。文献は川村純一『文学に見る痘瘡』(京都:思文閣、2006)

 江戸時代を中心に、歴史書、戯作、読本、随筆、紀行文、川柳など50点あまりの作品から痘瘡に関する言及を拾って、それに色々な解釈をつけたもの。それぞれの作品ごとに短い節を立てているため、全体のロジックの流れは全く不在で、繰り返しも非常に多いが、この問題に関する該博な知識を持つ書き手だから、私が知らなかった沢山のことを学んだ。あばたというのは元々は「くぼみ」を意味する梵語のarbudaから来ているとか、天平の痘瘡の大流行は、朝鮮半島へと往来する釣り船がもたらしたとされているとか、楽しいトリヴィアもあったが、疱瘡神のエピソードは、はっとした。 

 江戸時代になると疱瘡は常在するようになる。(これは、日本全体で見たときに常在するという意味で、ある民俗学者が唱えている、秦野の山奥の村で痘瘡が常在していたという説は荒唐無稽としか言いようがない。)疱瘡という恐ろしい伝染病と次第に慣れ親しむようになった民衆は、疱瘡を人間臭い神に神格化・人格化し、各地で疱瘡神の伝説が形成されるようになる。その一例が、釣師の清治のもので、清治がある日渓流でイワナを釣っていると、痩せて貧乏そうな老人がやってきて、イワナを売ってくれという。その日清治は自分が食べる分しか釣っていなかったが、老人を哀れんでイワナをただで上げる。すると老人は清治に名を尋ね、自分は痘瘡神だと名乗り、お前の家にはいかないから、釣師清治と書いて表に出しておけという。清治が老人の言うとおりにしたところ、果たして村には痘瘡が荒れ狂ったが、清治の家からは独りの患者も出さなかったという。その後、村人は痘瘡接近の噂を聞くと「釣師清治」と書いた紙を門口に貼っておくようになったという。 

 これに類似した伝説は全国に分布している。これらの伝説の幾つかは全国的に有名になり、日本各地からお札を求められるようななったものもあった。越前の湯尾の守り札がその一例である。また、痘瘡に限らず、同類のエピソードは明治のコレラのときにも記録されている。

 この手の話は、たぶんプロのフォークロリストたちの研究があると思うけれども(基本的な文献で読んでいないものがいくつもある!)、私の関心の文脈でいうと、痘瘡を避けるためには偶然と善行の組み合わせが必要であるということが面白い。打算的な善行ではなくて、偶然の機会に発揮された善行が、清治を痘瘡から守ることになる。それから、その偶然と善行で得たプロテクションは、善行を行った個人だけに帰属するのではなく、他の人に委譲することもできるというのも、面白い。ものすごく突飛で乱暴なことを半分本気で言わせて貰うと、勤勉な研究とセレンディピティで発見された新治療が、発見した医者だけを救うのではなく、研究もしていないし幸運でもなかった人々を病気から救うのに使われるという現代医療の構造と、そんなに違わない。