美人と小便と塩

 19世紀京都の蘭方医学の学塾で作られた講義の筆記録を読む。文献は小石玄瑞『<聖>園小石先生叢話 復刻と解説』正橋剛ニ編(京都:思文閣出版、2006)。

 小石玄瑞 (1784-1849)は19世紀の前半に京都で蘭方医学の医学校(究理堂)を主催した著名な医者。玄瑞の言葉を門人が書き留めてノートした記録の復刻が出版されたので、喜んで買って読んでみた。蘭方とはいえ、中国医学の話がかなり出ていて、漢方医学の概念を全く知らないので、内容は三割くらいしか理解できなかった。同時代のヨーロッパの医学書のジャンルで「アフォリズム」というものがあるが、臨床的な教えを実地の経験を交えて短い文章で簡潔に語る形式であるが、形式としてはそれに近い。

 ひとつ本書から面白いエピソードがあったので。現代語訳してみた。ところどころ訳が分らないところもあった。

「前のことになるが、浪花にいたときに、通りに数百人が群集していて、何事かと思えば、年のころは17、8で、美しい容貌の女が下着(女褌)もつけないで手に丸いお盆を持っているのを、50ばかりの父親と見える男が手に青竹を持って追い回している。その理由を尋ねると、父親が言うには、この女は私の娘ですが、小さな頃から小便を失禁する病気があって、何人もの医者にかかったが、全く効果を見ない。考えてみると、この通りの美人に生まれつきながら、このありさまでは嫁の貰い手もなかろう。ある人の話に、下着をつけずに、向こう三軒と両隣とさらのその先の隣家、都合7軒を回って塩を貰い、これを食べさせると直ちにこの病気は治るとのこと。
 その後、徐々によくなって全快したというが、思うに、この女子はもともと少しも感触がないものだが[この部分、よく分らない]、恥ずかしさのあまり、これはどうでもこうでも良くならなければならないという一念で、膀胱にしまりがついて全快したと見える。」