近代精神医療への複数の流れ

細川涼一. 逸脱の日本中世. 筑摩書房, 2000. ちくま学芸文庫.
世阿弥、水野聡. 風姿花伝. PHP研究所, 2016.
 
日本の精神医学の社会史を考えるときに、複数の力が同時に存在して近代と現代の精神医療が作り上げられたと考えることがよい。精神医療を供給する医学・医療があり、欧米から導入したものもあるし、仏教や神道をベースにしたものもある。一方、精神医療を需要する側も存在し、そこでは三つの需要する力がある。一つは世帯の力、一つは福祉の力、もう一つは警察の力である。この三つの需要者が、相互に関係を持ちながら、精神病院に軸を置く形に移行していくことが日本の近現代精神医療が成立していく途上の様子であった。
 
世帯の力、あるいは家族の力は、日本社会にとっても、その狂気や精神疾患に関しても、それを表現した表象に関しても、非常に重要であった。ここでは表象について書くと、能や歌舞伎などの日本の演劇の大きな中心においても、世帯に関するその次に重要なことが、精神医療の需要者である患者と患者の家族の側の動きである。
 
風姿花伝世阿弥が15世紀に執筆したものであり、能を演ずることに関して論じた傑作である。その第二章は「物学條々」と題されて、能に登場するさまざまな役に関する心得が論じられている。国王、大臣、女、老人、法師、戦士、神、鬼などを演ずるときの心得が描かれている。その中で、最も長く、また深い分析があるものが「物狂」(ものくるい)である。これは、主役が、千々に乱れる心理を、遊舞や芸尽くしに昇華させたものであり、変化と見どころとクライマックスが多い。「隅田川」「班女」「蘆刈」などが物狂を中心とした作品である。
 
この中で、世阿弥は二種類の物狂を区別している。一つは、神、仏、生霊、死霊などが取り憑いた役、もう一つは、家族の軋轢の中で狂乱した役である。「親と別れ、子を尋ね、夫に捨てられ、妻に先立たれる、こうした思いに千々乱れる物狂こそ一大事である」という。その難しさは、これらを同じように狂い演じるだけでなく、違いを作り出さなければならない。そうすると、家族の誰とどのような緊張が生まれ、それが狂乱に至るかが伝わり、それが観客に感動や面白い見どころを感じさせる。神仏や霊よりも、家族の枠組みの方が、能にとって重要であるという。