「卒都婆小町」

能の傑作の一つである「卒都婆小町」を読む。観阿弥作で、老女物・憑霊物の作品。<日本古典文學大系>の40巻にあたる、横道萬里雄・表章校注『謡曲集 上』(東京:岩波書店、1960)、81-88.

小野小町が老醜の乞食となったのがシテ、旅の僧がワキ。前半は老女の乞食と旅の僧の法論が中心。乞食の老女が朽木と見えた卒塔婆に腰をかけたのを僧が見咎めて、それは仏体が五感で知りえる姿(色相)になったものであるから粗末に扱ってはいけないという。それに対して、老女が小気味よく応酬して、最後には僧をやりこめる場面である。後半は、論破された僧が訝しんで「あなたはいったい誰だ」という問いに対して、自分は小野小町の老醜の姿であると答えるところから始まる。かつての容色と才知に比して、現在の醜さ、貧しさ、乞食の生活などを嘆く途中で、悪心と狂心がついて、憑依の場となる。ここで「悪心」という言葉の意味は、悪事をなそうとする心の意なのか、それとも仏道に進むのを妨げる心の意なのか、私にはよく分からない。老いた小町に憑依するのは、小町のもとに九十九夜通ったが恋を成し遂げることができなかった伝説の主人公である深草の四位少将である。

 

近世はもちろんだが、近代の精神医療を理解するときでも、このパターンを憶えておくこと。かつての栄華に較べたときの現在の貧困と惨状を嘆く老女という筋書き。そして、何かに憑かれたかのように瞬時に狂するありさまである。