東南アジアの疾病

必要があって、「東南アジアのブローデル」と呼ばれている名著の翻訳を読む。文献は、アンソニー・リード『大航海時代の東南アジア』I・II 平野秀秋・田中優子訳(東京:法政大学出版局、1997-2002)

医学史の中で東南アジアというのは研究が進んでいなくて、東南アジアの疾病について何かいい本はありませんかと周囲の人に聞いて回るたびに、「あの本なら書いてあるでしょう」と推薦されたのが本書である。

優れた学者が書いた名著というのは、最初の数パラグラフを読んだだけで身が引き締まるような緊張感を感じさせるものだけれども、この書物にはそれがない。この大著を訳した訳者の労は大いに尊敬するが、たぶん翻訳が理想的ではない。しかし、翻訳の背後の原文を補って読むことに慣れると、さすが名著の誉れたかい書物で、訳者の苦労も報われることだろうなと思う。冒頭で、東南アジア世界の特徴は「水と森」であると看破する箇所があるけれども、その鋭さと深さはすばらしい。東南アジア世界を陸地で連絡することは難しく、使われたのは水路・海路であった。波も穏やかで海上の活動にはきわめて都合がよかった。一方、高温と多雨は森の生育に最適であった。ヨーロッパや中国の森が中世以降の開発で消滅したのに対し、激しい人口増加をみた今日でさえ、東南アジアには豊かな森が残っている。

必要があったのは疾病の箇所で、さすがにこの部分には本格的な研究は盛られていないくて、ごく短い記述だったけれども、鋭い洞察と、それをピンポイントで支える telling details がはめ込まれている。14世紀のアユタヤの都市建設について17世紀に書かれた物語の中では、天然痘からの解放が重要なテーマになっているが、これは沼地の怪物の退治の話で、どちらかというとマラリアからの解放の主題によりふさわしい。(これについては私は以前にこのブログで書いたことがあると思う。)シャムの<本当の疫病は>天然痘であったという見解、「本当の疫病」という概念もいい。ヨーロッパの<本当の疫病>はペストであったし、近世日本の<本当の疫病>は天然痘であり、近代のそれはコレラであったと私は確信している。17世紀には都市部では天然痘は常在化し、7-10年ごとに流行がある小児病となるが、ボルネオやフィリピンの孤立した地方では襲来型になり、ときおりやってきては免疫のない住民を一掃する疫病であった。この襲来型の天然痘を神話の中に組み込んだのが、トゥアラン島のカダサン族である。そこには創造神と天然痘の精霊(悪霊)が契約を結び、天然痘の悪霊は40年ごとに人間界を訪問して、彼の分け前である人口の半分を運び去っていく契約を結んだことが書かれているという。

トリヴィアをひとつ。脚気を意味する beriberi は、マレー語で「羊」を意味する言葉で、脚気になったものが子羊のようによろよろと歩くことに由来するという。なるほど、「ベリベリ」って、擬音語のような気はしていたんだけど、やっぱりそうだったんですか。