必要があって、20世紀の労働と身体をめぐる深い洞察を短いスペースで大胆に展開した論文を読む。文献は、Roger Cooter and John Pickstone eds., Companion to Medicine in the Twentieth Century (London: Routledge, 2000)の中の、Steve Study, “The Industrial Body” という章。優れた仕事で、必読文献の一つだろう。
労働は身体を使って行う人間の営みの中でも、最も重要なものの一つである。「身体の歴史」と言ったときに、真っ先に性と生殖が思い浮かぶ現在の研究状況は、フロイトとフーコーに影響されて作られたバイアスである。この偏りを正すつもりだったかどうかは分らないが、クーターとピックストーンのレファレンスが、「身体」の部の中に、性や生殖だけでなく、労働、免疫、健康、第三世界などなどを含めていることは、新しい身体論の広がりを見込んだ適切な構成だと思う。
スターディによるこの章はとても野心的で、20世紀の労働する身体が、経済思想と医学の二つの学問を通じて概念化されたありさまを鳥瞰している。19世紀のレッセ・フェールの時代には、怪我をしたり病気にかかったりしやすい職場における労働者の身体の保護は、危険な仕事は賃金が高いという市場のメカニズムに任されていた。20世紀の前半には、エネルギー保存と新陳代謝の生理学に基づいて、生理学に基づく労働効率の操作が、労働する身体の主要な概念化の装置になった。戦間期の福祉国家の労働政策においては、高まった労働者の力を背景にして、労働者の身体がより大切にされると同時に、当時のケインズ派の経済学が需要を作り出すことに力点を置いたのに応じて(このあたりが、ちょっとぴんとこないところである)、労働者の身体は消費の主体という位置づけも行われた。20世紀後半の技術革新の時代には、新技術にすばやく適応していく技能のフレキシビリティが求められるのに応じて、多様な情報を認識して対応する人間身体の機能-代表的なものは免疫系-が、新たに構想された労働する身体のモデルになった。