遺伝概念の歴史



必要があって、20世紀以前の遺伝概念についての論文集を読む。文献は、Staffan Mueller-Wille and Hans-Joerg Rheinberger eds., Heredity Produced: at the Crossroads of Biology, Politics and Culture, 1500-1870 (Cambridge, Mass.: The MIT Press, 2007).

最近のマックス・プランクのトレードマークと言ってもいい、大きなテーマについて緊密な統一性が保たれている水準が高い論文集。この主題について、向こう15年の間は議論の地平を定義する必読文献になるだろう。少なくとも、そういう野心をはっきりと持って編まれている論文集である。

編者たちによるイントロダクションだけでも重要な議論がいくつもされていて、実はブログ記事という枠組みでは荷が重いのだけれども、とりあえずイントロダクションから重要なポイントを三つ。まず、遺伝という生物学的な概念が用いられるようになったのは比較的遅かったということ。それまで<発生>し<成長>するというアスペクトが強かった生物が、<再生産される>というアスペクトを獲得し、それが前面に出てくるのは、18世紀から19世紀からであると考えてよい。

第二に、遺伝という概念が生物学の中で重要性を増したのは、ダイナミックで生物のモビリティが高い物理的・知的・社会的な環境を背景にしてのことであった。例えば、異国の植物を、それが自生している環境から、ヨーロッパの知的センターである植物園に持ってくる、それらを多数集めて品種改良のために掛け合わせて、望ましい特徴を持った種を作り出していく、こういった営みから、<発生>と<成長>の過程における環境による影響とは区別される、生物の本質としての<遺伝>の概念が作られる。動物なら動物園、人間ならヨーロッパ―アメリカ―アフリカを巻き込んだ移民と混血や、いわゆる産業革命期の都市への人口移動が、遺伝と生物学的再生産の概念を作る背景となった。血統が支配の根拠である王侯貴族の特権を否定する「革命」も広義のモビリティである。ディスロケーションというのか、シュールレアリスム風に言うとデペイズマンというのか(笑)、それを背景に<遺伝>概念が形成されたというテーゼは、ものすごく示唆に富む。

第三に、<遺伝>概念と、法律・政治上の<相続>概念は、たまたま同じ言葉(heredity)が使われているというわけではなく、両者は深い関係があった。前者は後者を準拠枠にして発展したといってもいい。このように、狭い意味での科学で用いられている概念ではなく、他の領域にまたがり、メタファーや実践などでつながれた、ひとつの<空間>、あるいは<知識の体制a knowledge regime> の中で、遺伝概念の歴史を考えるのがふさわしい。この <知識の体制>という概念装置は。すごくドイツ的な発想(笑)だけど、言っていることは面白いし、たぶん新しい。

遺伝概念が、法律・行政に大きな影響を与えた例として、中南米の「カスタ」というシステムが紹介されている。白人、インディオ、いわゆる黒人と呼ばれるアフリカ系アメリカ人(笑)の間の混血の度合いを測って、それぞれの混血者の法律上・行政上の権利を定めるプロセスである。画像は、半分現地人だとか四分の一現地人などが、それぞれの混血の具合によってステータスが変わるさまが描かれた絵画。下が面白くて、十六分の一現地人で、現地人の血はすごく薄まっていて、顔の大きなほくろを除けば見た目もステータスも白人だけれども、その女性が白人と結婚すると真っ黒な子供が生まれることもあることを描いたもの。いくら血が薄まっても、非白人の痕跡は体内に執拗に残っているということだろうな。 そういえば、マーク・トウェインの『プドゥンヘッド・ウィルソン』にもそういう「ほとんど白人」が出てきましたよね。