必要があってガレノスの「医術」(The Art of Medicine)を読み直す。文献は、Galen, Selected Works, trans. by P.N. Singer (Oxford: Oxford University Press, 1997). このシンガー訳は、英語で手軽に読めるガレノスの選集としてとても重宝なもので、オクスフォード・クラシックス版に収められているけれども、今は品切れで、日本のアマゾンでは古書で1万円というべらぼうな高値がついている。
「医術」というテキストは、必ずしもガレノス自身が書いたものではないのかもしれないらしい。多弁で、理屈っぽくて、回りくどく、論争的で他の医者の理論を批判することに長けているガレノスらしさは影を潜め、自然哲学の原理を織り込みながら、実際の診断や治療を念頭においたコンパクトな医学総論である。このテキストは、もともと古代世界においても、より本格的・専門的なガレノスの著作の「各論」にあたるものを学ぶ前に読む、入門書的な位置づけをされていたが、このどちらかと言えばガレノスらしからぬ「軽い」著作が、彼の影響を語るときに決定的な意味を持つようになった。それは、後期中世にアラビア医学の中で保存されていたギリシア医学が、アラビア語からラテン語に訳されてヨーロッパに紹介されたときに、ガレノスの「医術」が一つの柱であったからである。ガレノスの「医術」は、同じガレノスの「脈診論入門」や、ヒポクラテス集成の「アフォリズム」「予後論」などとともに、後期中世のヨーロッパがラテン語で知っていたギリシア医学の著作であった。後のルネッサンスの時代になると、より本格的なガレノスの著作がギリシア語で読めるようになるが、それまでは中世の大学出の医者たちは、この著作を通じてガレノスを学んでいたのである。
ガレノスらしさは影を潜めていると書いているけれども、末尾に自分の著作を一覧表的に載せて、これからはこれをこの順番で読むようにと読者に命令しているあたりは、ガレノス先生らしい。さすが、別の論文では、「詩神(ミューズ)が自ら詩を作ったとしても、愚劣な詩を愛好する人々が多いこの時代では、ほとんど省みられることはないだろう。だから、私は、自分の医学が人々に理解されるとは思っていない」と真顔でおっしゃる大先生だけのことはある(笑)