「かつての医学史」という罠

必要があって、医学史の現在を批判的に論じた論文集を読みなおす。文献は、Huisman, Frank and John Harley Warner, Locating Medical History: the Stories and their Meanings (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2004).

ある学問がヴァイタリティを保つためには、その学問が現在使っている方法論や視点を批判的に吟味しなければならない。方法論と視点ばかり議論して、「立ち位置」を定めることばかりに夢中になっているのは歴史学としては不毛だから、ほどほどにしなければならないのも確かだが、自分に無批判な学問は、輝きを失うのも早い。この論文集は、1970年代の後半から80年代にかけて現れた「新しい医学史」が充実した成果を挙げて、2000年近辺にその成果に基づいた教科書が書かれて「エスタブリッシュメント」になったのをうけて、ちょうどいいタイミングで構想された書物である。

たくさんの論文が、それぞれ優れた洞察を与えてくれるけれども、この書物で最も広範なインパクトがあるのは、イントロダクションの冒頭に出てくる洞察である。一言で言うと、「かつての医学史のステレオタイプ」という罠が、現代の医学史の研究者たちの創造性をむしろ奪っているという議論である。「新しい医学史」の方法と視点で研究していると自認している研究者の論文は、「古い医学史のステレオタイプ」を描写して、それを批判することから始まることが多い。批判ならまだいいけれども、揶揄や、場合によっては傲慢なあざけりになっている場合も少なくない。こういった、古い立場とは違うものとして自分の視点を提示するという設定は、確かに研究の常道であり、必要なものである。しかし、そこで提示される古い立場なるものが、批判するのがあまりにたやすいステレオタイプに仕立てられてる場合、それは自分の立場を自分に対してぼかしてしまう効果しかない。自分が使う方法論と視点を正面から議論せずに、その代用としてステレオタイプをあざけるイントロダクションがついているような論文は、たしかに水準が低いことが多い。 

ここで言われているようなことは、私も漠然と気がついてはいて、そういうステレオタイプを作らないように努力していたつもりだけれども、これだけ明晰に書かれると(この筆の冴えと議論の切れはウォーナーだと思うんだけど、もう一人の編者の仕事を私は知らないので、違うかもしれない)、なぜそれが非生産的かが理解できて、改めて深く心に刻まれた。