佐世保の児童調査

佐世保の学童について、佐世保の校医が色々調べた調査を読む。文献は、一丸恕吉「学齢児童の栄養、性質、学業成績および之に関する二三の調査」『学校衛生』5(1925), 87-100, 168-179, 247-256, 333-337.

生活程度と児童の栄養について面白いことを書いていたので、それだけ記す。発育の良・不良は、その栄養状態の如何により、栄養状態は摂取する飲食物に関わる。しかし、だからといって、滋養物をたくさん食べれば、すぐに栄養状態がよくなるわけでもないと、戦前の日本医学は信じていた。栄養が、その食餌の良否にのみ関係するというのは「謬見」であると、この校医も断言している。滋養物をその子女に多く買い与えることができるはずの富裕な家庭の児童にもやせて蒼白なものがいるし、逆に貧困家庭の児童の中にも頑強な体質の所有者がいる。数字を取ってみると、富裕な家庭の児童(全体の8%)、 中流(75%)、下流(17%)について、それぞれ栄養不良と診断された児童の割合を見ると、上流は4%、中流は2%、下流は3%と、それほど変わりはないというか、それどころか、実は、上流の家庭が一番栄養不良児が多いという結果になっている。青白くて不健康なブルジョアの子供というのは、少なくとも新潟ではそれなりに現実にあっていたのかな。 

それよりも重要なのは、なぜ食餌がそのまま栄養状態を決めるかという説を、当時の日本の医学者が軽蔑的といっていい仕方で反対したかであるが、理由はわりと簡単である。彼らにとって「体質」が重要であったからである。この「体質」というのは、親から遺伝したり、幼児期に形成されたりするもので、これによって食べ物が消化・吸収されて栄養となる率などが変わってきたりする、とても重要なものであった。(いまでも、「食べても太らない体質」とかいう形で、この概念は一般語にも残っていますよね。)この体質の重視と、体質の改善こそ栄養改善の王道であるという考えは、給食の導入に難色を示したり、それは抜本的なやり方ではないとして、給食実現を阻むようにもはたらいた。この論文の著者も、給食に非常に冷淡である。 

ついでに、quotable な表現を一つ。「母乳は母体における一種の『エネルギー』を併せて[ 子供に ] 給与する。身体上の量的方面のみならず精神的・性質的に大きな権威になるのである。」