竹やぶと料理屋とマラリア学

必要があって、戦前の慶應医学部の教授で生物学者・寄生虫学者の小泉丹の大きな論文を読む。文献は、「マラリアの流行学及防圧作業」『日新医学』18(1929), 795-805; 947-963; 1144-1161; 1327-1347. 彼は、生理学の林と並ぶ慶應医学部のスター教授の一人だったのだろう。生物学の書物をたくさん書き、ラマルクやダーウィンなどの翻訳も手がけている、格好の伝記の主題である。

小泉自身が集めて見聞した八重山南満州、そしてなによりも台湾のマラリアについての知見を織り込んで集大成した、とても優れた論文である。八重山のマラリアの流行については人頭税を批判するなど、社会派の顔も見せている。

その関係で面白かったエピソードを一つ紹介すると、台湾のある村では、民情不安で軍が駐屯していたが、そこにマラリアが発生した。郡は総督府の衛生課に、マラリア防圧のために竹林の伐採を命じたが、当時の衛生課の課長の高木友枝は、その要求を拒み、竹林の除去よりも料理屋の処置が必要であるとしっぺ返しを食らわせたという。これは、従軍慰安婦の問題が象徴するように、日本の軍隊は兵士や将校の売買春に対して非常に寛容に容認する態度をとり、時として積極的にそれを整備する方策さえ採った。「料理屋」というのは、それに対する痛烈なあてこすりであろう。