必要があって、イギリスの病院建築を論じた書物を読みなおす。文献は、Taylor, Jeremy, The Architect and the Pavilion Hospital: Dialogue and Design Creativity in England 1850-1914 (London: Leicester University Press, 1997). 同じ著者の本で、この問題についてより基本的な本がもう一冊あるんだけれども、これが大学図書館にもないしなかなか手に入らない。
19世紀の後半の病院建築は「パヴィリオン型」の時代である。病気の原因と考えられたミアズマが、患者から出て病棟の中にとどまって感染症を起こすのを防ぐために(言うまでもないけれど、この説は「間違って」いる)、空気の通り道をできるだけ確保する必要があった。そのため、空気がよどむ建物で囲まれた中庭形式は廃止され、細長い病棟が平行に突き出しているような形、脊髄から肋骨が突き出しているような形の病院が作られた。これを主張したのはもちろんナイチンゲールであって、彼女が1863年に出版した Thought on Hopsitals ではこの形式が語られた。ナイチンゲールは、病院建築にアドヴァイスを与えるなど、大きな影響を保った。この形式は、ミアズマ説が細菌説にとってかわられても基本的に継続し、1930年代まで続いた。
問題はここからである。しかし、このパヴィリオン形式がスタンダードになると、建築家にとっては、これが足かせであると感じられるようになった。すでに、このパヴィリオン形式の中に、ハイテクの手術室、外来病棟、電気室などの新しい要素を取り込むことは始まっていたが、それ以上に、建築の全体的な形についてのイノヴェーションを建築家たちは待ち望んでいた。しかし、病院の建築家は、病院をコミッションする医療者たち、そして(それよりも重要な)背後にいる病院の寄付者たちという依頼主の要望を入れなければならない。そのため、1878年に、ロンドンのUniversity College Hospital の教授であったJohn Marshall が、建築家と相談して「円形病棟」を提案したときに、建築家たちはこれを歓迎した。この円形病棟のアイデアは、当時、最新型の病院設計として話題になっていたアメリカ・ボルティモアのホプキンズの八角病棟を参考にして、円形のほうが、どの方角からも光と風が入るからということを主たる根拠にして主張されたものである。この方式は技術的な困難も多いうえに、「円形だと風が入るって本当か?」という無理からぬ反対意見もあって定着しなかったが、アルフレッド・ウォーターハウスなど、多くの建築家が部分的に病院で試すことになった。
画像は、「ナイチンゲール病棟」の本家本元、ロンドンのセント・トマス病院と、ヘイスティングスのセント・レナード病院の平面図。