水上勉『一休』

必要があって、まだ学生のころに、友人に大いに勧められた水上勉の『一休』を読む。中公文庫に入っている。

一休が後小松天皇落胤であったという説にふれ、父というものがずっと不在であったことを論じる。そして母と二人で幼少期を過ごしたことから母の思いにふれる。禅寺での男色にかなりのウェイトが置かれて、一休と師匠の男色関係が想像の上で論じられる。都の「淫坊」で遊女を知ったことが論じられる。そしてハイライトは、一休が老年になって愛してその肉体をたたえる詩を書いている森侍女との関係が論じられる部分である。その関係は、破戒ではなく、自然なものであったと。解説によると、これを言うのに、水上はその作家としての全身をかけたということである。肉親と肉体の問題を中心にした伝記であるといったいい。水上勉は、よく知らない作家だけれども、きっと、そういう時代に生きていたのだろう。肉親と性が、根源的な何かであると信じていた時代だったのだろうな。

一休の「庶民禅」の根は、公家や武家が専横する都とは違った自治都市にあった。具体的には、琵琶湖の水上交通で栄えた堅田という町である。一休がのちに堺で活動したのも同じような理由である。 

一休は、堅田で修行しつつ、京におもむいて手工業者とともに仕事をした。その一つが「匂い袋」の作成であり、もう一つは丸薬つくりである。丸薬は、薬研をまわし、うすでつき、烏梅(うばい)という薬を作った。烏梅は、梅を酢の中に一夜漬け、種をのぞき、上で米五合をむして、ふけたものをついて泥とし、くずをまぶしてうすに入れ、蜜をそえてついて、丸くしたものである。ちなみに匂い袋も、樟脳、沈香、丁子、白檀、甘草などの香料であり薬物であるものが入っていた。室町時代の中国医学と輸入薬物志向の産物だろう。