必要があって、エラスムスの『キリスト教徒の君主の教育について』(1516)を読む。Erasmus, The Education of a Christian Prince, edited by Lisa Jardine (Cambridge: Cambridge University Press, 1997).
15世紀から16世紀のヨーロッパの君主たちが繰り広げた激しい領土闘争・権力闘争をうけて、マキャベリは『君主論』(1513)において、権力を奪取し、人民を恐怖に陥れて従わせる君主を描いた。それに対して、平和と融和を愛し、君主と人民が相互に善に向かう可能性を信じていたエラスムスは、世襲制の王家に生まれたために、たまたま人民を支配することになった人物を、すぐれた君主にする方法を描いた。基本、保守的な枠組みの中でヨーロッパの危機に対応するための教育論である。エラスムスの政治思想では、原則、君主は選ぶことができないが、哲学教師を選ぶことはできるし、何を教えるかということは自由に選択できる。その教育を通じて、人は優れた君主を作ることができるのである。
この時期のヨーロッパの先進地域では、君主の仕事の中に、公衆衛生というか、街をペストから守ることはもちろん入っていた。エラスムスもそれに軽く触れているが、その描き方は軽い。法を変えたり、習慣を変えるために法を適用したり、弱者の負担を減らしたり、犯罪を少なくすることに較べて、一段重要性が劣ると思っていたらしい。Less pressing but not unworthy of a prince という表現である。そして、それは、都市を視察することの中に入っており、砦、橋、列柱、教会、水道などの整備と同じ文章の中で、clean up plague-spots either by rebuilding or by draining swamps. と書いている。これは、都市の中に沼地があったというわけではなく、都市のまわりの沼地だろうと思うけれども、城壁の中に沼地があったということも、もちろん考えられる。(平安京はそうだったと聞いている。)とにかく、都市の美化と整備という枠組みの中でヨーロッパ近世の公衆衛生は捉えられていた。ちなみに、沼地云々というのは、レオナルドもかかわった有名なマラリア対策だけれども、rebuilding ということが分からない。
この書物の読まれ方について。これは、本当に、君主や領主の家庭教師になることを目指していた人文主義者にだけ読まれたのだろうか。自分の子供の教育を目指す教養ある階層や、あるいは自分自身の徳の涵養を目指す人たちにも読まれたのではないだろうか。だとすると、これは、徳の涵養と有用性の幻想を与える人文主義のビジネス書なのかな。
ひとつ、さいきん「不眠症」に興味があり、ふと気づいてしまったこと。君主の不眠症という病気がかつては存在していた。ホメロスにもアエネアスにも書いてあるそうだが、国家と人民のことを考えている君主は、夜も眠ることができないそうである。
印象に残った引用を二つ。
Your life is open to view. You cannot hide.
True honours are not those commonly acclaimed as such.
Your life is open to view. You cannot hide.
True honours are not those commonly acclaimed as such.