ペッテンコーファーと医療の経済学

ペッテンコーファーの論文を読み直し。文献は、Pettenkofer, Max von., “The Value of Health to a City: Two Lectures Delivered in 1874”, translated from the German, with an introduction by Henry E. Sigerist, Bulletin of the History of Medicine, 10, 3: 1991, 473-503.

必要なことは二点。第一点が、ペッテンコーファーは1874年にミュンヘンで行った講演で、有力な市民に対して行った講演で、公衆衛生の未発達からくる病気のせいで、ミュンヘンはどのくらいの経済的な損失を受けているかという計算を行った。死亡率から病気の日数×人を、それに一日の賃金を掛けるという素朴なものであったけれども、当時、死亡率が高かったミュンヘンがロンドンと同じくらいの死亡率になったら、このくらいの利益があるという議論を展開した。

もう一点は、こちらのほうが重要。このペッテンコーファーの講演は、70年後に、医療の経済における重要な先駆者としてホプキンズのジゲリストが英訳して紹介した。1) バクテリオロジーとは違う社会医学としてペッテンコーファーを提示すること、2) 当時行われて人々に衝撃を与えていた全国医療費調査で、アメリカ人は一年に100億ドル病気に使っていることが推計され、そのような議論から何をなすべきかという問いには、ペッテンコーファーという先駆者がいることを示した。

大戦前のマクロな医療経済の関心の増大、そして社会医学がペッテンコーファーに起源を求めたことというのは、誰でも関心を持つことだと思うけれども、私は、そこに、ジゲリストという医学史の研究者が絡んできたことが重要だと思う。