『科学史研究』に執筆予定の医学史の過去・現在・未来の論評のメモです。まだ断片的なものです。ご批判をお待ちしています。
科学史と医学史は、大学の制度としては理学部と医学部という違う学部に所属し、二つの分かれたディシプリンとして別個の道を進んできたが、そこには不思議な照応関係があった。その照応関係を象徴するのが、ジョージ・サートン(George Sarton, 1884-1956) と、ヘンリー・ジゲリスト (Henry Sigerist, 1891-1957) という、20世紀中葉のアメリカにおいて、それぞれ科学史と医学史を形成した二人の学者とその著作である。サートンとジゲリストは、いずれもヨーロッパに生まれてアメリカに移住して指導的な学者となった。サートンはベルギーで生まれ、ゲント大学で化学と数学を学んだのち、第一次大戦期に移住してアメリカに定着した。1920年からハーヴァード大で科学史を教えて1940年から51年までその教授をつとめた。ジゲリストはパリで生まれ、ジュネーヴ大学で医学を学んだのち、ライプツィッヒの医学史研究所を経て、1932年から47年まで、ジョンス・ホプキンス大学の医学史研究所の所長であった。サートンは1931年に『科学史と新ヒューマニズム』を、ジゲリストは1943年に『文明と病気』という一般向けの著作を書いた。サートンの『科学史と新ヒューマニズム』は、当時の知的エリートたちが、「文学派」と「科学派」の二つに分かれて対立する状況に対して、その両者を架橋するような「新ヒューマニズム」を作り上げようという構成で描かれている。ジゲリストの『文明と病気』は、物質的な過程である病気と、人間の精神の産物である文明とは、もっともかけ離れているものだが密接な関係にあることをさまざまな局面において示す著作である。すなわち、サートンもジゲリストも、科学史と医学史という学問を、人文学と科学であれ、物質的な疾病と精神的な文明であれ、対比する二つの極を統合していく営みとして考えていたのである。科学史も医学史も、20世紀前半のヨーロッパとアメリカの学問と社会が直面していた対立と断片化に対して、何らかの統合性をもたらす営みであったのである。