アメリカの医学史とイギリスの新しい医学史

イギリスの新しい医学史、特に新しい精神医学史の発展についての文章を書いた。これは1920年に創設された慶應の医学部の創設100年を記念して『近代日本研究』で組まれる特集に寄せたものである。本来なら、慶應の医学部の歴史や、そこでの医学史の教育などに触れたかったけれども、調べる時間を取ることができなくて、自分が知っているマテリアルだけで書いたものである。身分は研究ノートだけれども、実際は雑文に近いものである。ただ、イギリスの医学史の成功のメカニズムについて自分が考えていることを記すことができたのは少しうれしい。
 
その中で、アメリカの医学史とイギリスの新しい医学史を対比させる箇所があった。意外なことが、アメリカの医学史と較べたときに、イギリスの医学史は新興国の営みであるということである。アメリカでは20世紀の前半・中葉から、ドイツからの医学史研究者の移民をうけて、ホプキンスをはじめとする一流大学の医学部や医学校に医学史の学科や講座が設立された。ドイツのシステムにならい、医学部の中での講座としての位置づけであった。教授たちはもちろん医学を学んだ医師であり、教育のベースは医学生に教えることであった。ヘンリー・ジゲリスト、オウセイ・テムキン、アーウィン・アッカークネヒトたちがこのモデルを代表する。もちろん、このモデルとは少し違う人文系で学んだ医学史研究者もいた。たとえば、『近代医学の発達』を1930年代に著した R.H. シュライオックは、歴史学の出身で、ホプキンズの医学史研究所の所長までつとめたが、彼のあとをついで所長になったのはテムキンであり、シュライオックの著作は現在ではほとんど読まれていない。アメリカの医学史は、さまざまな意味で非常に医学よりの医学史であった。その中で圧倒的に水準が高い洞察や研究が行われていた。
 
一方で、イギリスで1970年代から80年代に離陸を始めた新しい医学史は、医学部ではなくて人文社会系の学問が中軸となった。ロイ・ポーター、チャールズ・ウェブスター、リチャード・スミスたちが人文社会系の医学史研究者にあたる。彼らがアメリカの洞察とは異なる方向の「新しい医学史」を発展させていた。もちろん、W.F. バイナムやクリス・ローレンスのような医師もいる。しかし、彼らは、大学院で人文社会系のコースで学ぶという経緯を経ていることを忘れてはならない。
 
この新しい医学史の構成の仕方を論じたのが、近刊の雑誌論文である。刊行されたらご案内いたします。ちなみにシュライオックの著作は以下の通り。
 
Shryock, Richard Harrison, and 功 大城. 近代医学の発達. 平凡社, 1974.