満州の伝道医師

必要があって、1883年から40年間にわたって、満州奉天で伝道医療を行っていたスコットランド人のデュガルト・クリスティーの自伝の翻訳を読む。訳者は矢内原忠雄。もとは、1914年に『奉天での30年間』という題で出版された書物を1938年に訳したものである。満州に対する日本人の責任を考えるときに、このキリスト教的な伝道と文明の福音を伝える精神を参考にせよというような意味で、矢内原が翻訳したのだろうと思う。

貴重なところは、まず第一に、1910-11年の有名な満州のペストの時における混乱と医療と防疫の事情がかなり詳しく書いてある部分。人々が宿命主義に基づいて介入を避ける部分、西洋型防疫の公権力による空間的な移動の制限と強制に反発する部分など、学部生に読ませるのに最適な長さと密度を持っている。あとは、伝道医療を成功させるための手法が書いてある部分。白内障の手術など、当時の西洋医学が圧倒的な力を発揮することができた疾病の治療を先導にして、巡回などでまず好印象を与え、患者をひきつけ、病院という生活の場で患者の精神に触れて改宗させるという部分も参考になる。1888年の大洪水のあと、河川と用水のインフラが破壊されて沼と池だらけになってしまった地域でマラリアの突発的な流行があり、それまでは数年かかって数十件だったのが、一年で4000人もマラリア患者を診るようになったという断片も覚えておこう。

私としては一番面白かったのが、人々の健康状態についての観察と思考である。クリスティーによれば、奉天とその周辺の人々は衛生観念をもたず、不潔な暮らしをしている。この状態からは、もっと疾病が蔓延していてもいいのに、人々は「意外に」健康であるという。この「意外に」健康というのが、きっと知的には複雑な構造のもとで現れてくる思想だろう。彼らの環境は最低である。しかし、彼らの身体は大きく、わりと長生きである。つまり、衛生状態の有害さを打ち消すような好条件を満州は持っているというのだ。まず、その気候はだいたいにおいてよい。ヨーロッパ人にとって健康地である。また、家屋のたてつけが悪く、窓はガラスでなく紙でできているので換気がよい。人々は贅沢をせずに簡易生活をしているので、文明がもたらす病気から自由である。ここにあるのは、牧歌的な生活と文明の病気を対比させる、19世紀末の変質理論と公衆衛生に至るようなとらえ方である。「近代は文明を健康と同一視した」と決めつける論者がいるけれども、もちろんそうではない。というか、その程度の問題の捉え方で医学史の重要な部分が理解できると思っている人たちがもしいるとしたら、それは、学問というものをなめていませんか。