人種生理学

必要があって「人種生理学」についての論文を読む。文献は、北村直躬「時局下の人種生理学(1)-(4)」『臨床大陸』vol.2(1940), no.8, 827-830; no.9,953-959; no.10, 1075-1087; no.11, 1205-1218.

人種についての医学は、その形態的な違いに注目していたが、近年は生理学的な研究も現れ、より根源的なことが理解されるようになった。身長、四肢と身長の比、座高との比、顔貌などは形態の差で、これが人種的な特徴を作っているだが、これらは、要するに生命機転の産物であり、人の成長のスピードなどをつかさどる脳下垂体の違いであるから、生理学の問題なのである。このような人種の「作業能」の違いが、それぞれの文化に影響を与えている。西洋の剣術とちがって日本の剣術は重さを利用して振り下ろす、体格のある部分の欠陥を補うものになっているし、仏像の立ち姿にも、日本の仏像製作が模倣の段階を過ぎると、「遊び足」がある形、つまり片方の足に体重を掛けない姿から、両足に均等に重心をかける姿になるが、これも、日本人の体格と関係がある。(このノリで執筆された仏像美術論は北村の戦後の著作になる。)気候順化の話やさまざまな生理的な指標の人種比較の話もたくさんある。

形態にたいして、古典的な衛生とも対比されている。衛生学的な方法と並んで、馴化作用により人体それ自体の性能を向上させること、北村の言葉を借りると「鍛錬」が次第に重要となり、ドイツでは、衛生施設が十分になって飽和したのに伴って体質の鍛錬が重視されるようになった。勤労奉仕などはまさしくそれである。これを、満州のように衛生施設がいまだに充実していない場所で軽々しく真似するべきではないが、体位向上を目標にすること、断種法の検討など、内地では鍛錬主義が取り入れられている。満州も、青少年義勇軍の入植は、そもそも鍛錬ではないか。ちなみに、義勇軍への入隊は、青年期に移住するという、欧米で行われている「少年期を植民地で過ごして青年期になったら本国に帰る」という方法とは正反対の道筋で行われており、満州に移民する年齢について、科学的に検討されるべきである。

しかし、なによりも驚いたのは、北村が展開した「馴育学説」である。これは、人間が進化して人種に分かれていく過程は、文明のもとで変化していくこと、いわば「家畜」になるようなものだという説である。人種の体質的な特徴、特にその皮膚色や毛髪などが、人種ごとに非常に異なった固有性を持つことは、あたかも、家畜が大きく姿を変えていくことのようである。そこから、人類は、その長い歴史を通じて、文明生活という桎梏のもとで家畜化されたものであるという、馴育学説が現れる。この馴育することができるか否かを、「馴育能」といい、文明生活に対して体質を適応させることができるかどうかは、人種によって違ってくる。黒人に結核が多くアイノ人が衰亡しているのは、すなわち馴育能が低いからである。都会への集中、工業発展など、変化する文明に適応する能力の優劣が、これからの国家民族の興亡に大きな影響を与える。いわば、家畜化する能力が高い人種が、変化のはげしい文明の中で成功していくのである。

実は、この3月に『家畜人ヤプー』の医学史的な分析を話すことになっていて、この、文明を「家畜化」であると捉える思想は、この人種主義とSMと医学を混交させたフィクションを考える重要な背景になるだろう。