三宅秀「化学と医学」

たまたま目にした三宅秀「化学と医学との関係を論ず」から興味深い点をメモする。岩波の『近代思想体系』の『科学と技術』に入っている。もともとは明治16(1883)年の『東洋学芸雑誌』に掲載された短いもの。

文明の程度は各国において違い、いまだに未開の人民のような暮らしをしている国もあるが、医学のもとには文明に関係ない本能のようなものがある。自己の生命を保存して病苦のときにはその苦悩を和らげようとするものは、「人としてこれを具えざるはなし」だという。であるから、洋の東西をとわず、不老不死の霊薬を求めて作ることが考えられた。西洋では「ロゼルベーコン」は「アルケミスト」として黄金を溶かして服せば不老長寿になると考え、漢土では、薬石の精錬術は長くから知られ発達されてきた。化学と医学は西洋でも東洋でも歴史のだいぶ前から深い関係があったことは変わりない。しかし、これから先の発展においては、西洋と東洋では大きく違う。西洋では、薬品の効用、薬物の鑑定、生理と病理において、化学が用いられるが、東洋ではそのようなことは「絶えて見ることなかった」。そのため、西洋では化学の進歩が医学の進歩を促すことになった。現在では、中毒症の解毒、抱水クロラールが血中に入って「コロロホルム」に変じること、タンニン酸がフェノール酸に変化することなどが知られ、これらは病気の治療(当時の意味でいう治療)に化学的な基礎を貢献しているものである。しかし、これらの薬が体内に入ってどこに達し、組織細胞にどのような作用をするかがいまだにわかっていないのである。東洋の薬品を科学的に分析することは、医学に貢献するだけではなく、東洋学芸の進歩を知らしめ、また、国家に裨益するであろう。

誰の仕事か知らないが、注記について苦情が一つある。「ロゼルベーコン」からもわかるように、確かに、元の名前を推測することが若干難しい表記をしている。しかし、例えば「パラセルゼス」のように自分がわかった人名にだけ注記をつけ、「ベッドース」「トロッテル」「クコラスレメリー」(たぶんニコラ・レムリのことだろう)のように、自分が知らないものには注を付けないといういい加減な方法は見苦しい。そのあたりが、日本の科学史研究の評価が低い最大の理由だと私は思っている。