高岡裕之「戦時動員と福祉国家」

必要があって、戦時の厚生省の政策を分析した論文を読む。文献は、高岡裕之「戦時動員と福祉国家倉沢愛子、杉原達、成田龍一、テッサ・モーリス・スズキ、油井大三郎、吉田裕『岩波講座 アジア・太平洋戦争3 動員・抵抗・翼賛』(東京:岩波書店、2006)121-150.

厚生省の成立の発端になったのは、1936年6月の閣議において、寺内陸相が壮丁体位の低下傾向を指摘して、6月末に保健国策樹立と「衛生省」設置を訴えるアピールが現れたからである。この動きの中心にいたのが、陸軍医中将の小泉親彦であった。陸軍が厚生省設置の推進力であったことは間違いない。しかし、陸軍や小泉が考えていたことは、たんなる医療の普及などではなく、あるべき国民を創出するために国民生活を科学的に管理する「広義国防」の国家機関であった。当時内務省がおこなっていた保健所、国民健康保険、母子保護などについて、陸軍は冷淡な態度をとっていた。厚生省がつくられるときに、陸軍の広義国防の考えに対応しながら、内務省がもっていた社会問題・社会政策のパラダイムを守る形になったのである。124-5.

厚生省が成立したときに、国家総動員法が公布され、日中戦争は長期化・総力戦の道をたどっていた。厚生省は、まず、このような総力戦への対応を強いられることになった。そのため、1938年・39年には、軍事援護費が厚生省の歳出の70%台をしめる状況になった。しかし、1940年から42年にかけては、軍事援護費の割合は若干低下し、60%から50%台で移行することになった。これは、この時期に戦時社会政策が登場したことによる。具体的には、国民体力法、国民優性法、医療保護法、国民医療法などである。 127-8