山本太郎『感染症と文明―共生への道』

山本太郎『感染症と文明―共生への道』(東京:岩波新書、2011)
「感染症と文明」というのは、私自身の仕事の一つの柱であり、それを主題とした岩波新書が現れたので期待して手に取った。正直言って、全体的な出来にはあまり感心しなかった。同業者だから点が辛くなるのだろうけれども、他の学者の議論や素材を借りている部分があまりに透けて見えて、それが自分の議論の中に消化されていない印象を持った。この理由を想像するに、著者が実地の医療に忙しい国際保健学者で、感染症と文明を、歴史を素材にして正面から扱ったオリジナルリサーチをしていないということと、構想からわずか二年で書き上げたということが原因だろう。どんなに頭がいい人でも、ある主題についてのオリジナルリサーチをして議論をまとめる経験を持っていないと、深みが足りなくなるものである。才気渙発で短く鋭いコメントを飛ばす能力と、長い記述をサステインする能力は、たぶん少し違った性質のもので、後者の能力は、オリジナルリサーチの経験によってのみ培われるものだと思う。歴史を扱った新書を書くためには、やはり歴史のオリジナルリサーチをしたほうがいいし、国際保健学者ならではの歴史のリサーチというものがあるはずである。準備期間については、この問題は、すでに十分に複雑な議論が発展していて、二年で重要な先行研究を消化して優れた新書を書き上げることは難しくなっている。正直な話、私自身も、遠い将来に、こういった本を書いてみたいと思っているけれども、三年はかかるだろうと思う。厳しい言葉かもしれないが、「拙速」の印象を持った。

でも、実地の医者らしい素晴らしい説明が随所にあった。たとえば、冒頭に置かれた1846年のフェロー諸島の麻疹流行と1875年のフィジー諸島の麻疹流行で話を始めたのは素晴らしかった。フェロー諸島の流行では、最終的に約8,000人の島民のうち、約900人は最後まで感染を免れたことを説明する中で、集団免疫を導入したのは、ああ、こう説明すればいいのかと思った。「流行の進展とともに、感染性をもつ人が接触する人のうち、感受性を持つ人の割合が低下する。そのことが流行収束の主な理由であることがわかる。言い換えれば、最後まで感染しなかった人は、すでに感染した人によって守られたと言える、専門用語でいえば、これを『集団免疫』と呼ぶ。」4