北條民雄『いのちの初夜』

北條民雄『いのちの初夜』(東京:角川書店、1997)
角川文庫から出ている北條民雄の著作集。彼のヒット作である「いのちの初夜」を冒頭に置き、それ以外の創作の形式を持つ作品が5点、「癩院記録」「続癩院記録」というルポルタージュ風の作品が2点収められているほか、彼を発見した川端康成による「あとがき」と、同じ療養所の患者で文学を趣味としていた光岡良二による「北條民雄の人と生活」を収録している。これだけが一冊に入っている文庫というのは、学生に課題図書として推薦するのに最高の選定だが、いまチェックしたら品切れになっているらしい。

『いのちの初夜』というのは不思議な小説で、小説のかなりの部分が、主人公のハンセン病患者自身が、同病の患者で重症化しているものの醜さを徹底的に描くことに費やされる。「人間でない」「のっぺら棒」「泥人形」「惨たらしくも情欲的」「陰部までを電光の下にさらして、そこにまで無数の結節が、黒い虫のように点々とできているのだった」「これこそまさしく化物屋敷だ」という扇情的とすら言える言葉が並ぶ。このような言葉でどん底にまで落としておいて、そこから高らかな決意表明が行われる。患者は人間としては死んでいても、そこには「いのち」があるのだ、だからこそ患者たちは再生し、不死鳥のように復活するのだ。新しい思想、新しい眼を持つとき、癩者そのものになりきるとき、びくびくと生きている命が肉体を獲得して復活するのだという。

『改造』に掲載された「癩院記録」「続癩院記録」の個々の内容が、どの程度正確なのかについて私が語る資格はない。しかし、注目するべきなのは、それが含んでいる言語表現の形式である。そこには時間形式の日記が挟み込まれ、患者間の手紙のトランスクリプトが挟み込まれ、患者が書いた詩も引用されている。これらの複数の形式の言語表現が存在することは、まさしく収容型の医療空間の言語の構造をあらわしていることだと私は思う。これは、11月の研究会で少し話してみよう。