山本貴光編『サイエンス・ブック・トラベルー世界を見晴らす100冊』(河出書房新社、2015)に、「未来の医療はどうなるだろうか?」という小文を書きました。基本フォーマットは、本を三冊選んで紹介しながら何かを語るという枠組みで、選んだ三冊の本は、ロイ・ポーター『人体を戦場にして』、マクニール『疫病と文明』、ソンタグ『隠喩としての病い』という、ある意味で詰まらないほど鉄板の選択です。全体として何を書こうかずいぶん迷いましたが、医療の歴史を研究している歴史学者が、医療の未来について語るという方向で書いてみました。この主題は、これからも考えたい主題なので、ご批判をいただければ幸いです。なお、私の小文の他にも数多くの興味深い文章が掲載されています。興味がある方はお買い求めください。
未来の医療はどうなるのか?
鈴木晃仁(慶應義塾大学)
ロイ・ポーター『人体を戦場にして』目羅公和訳、法政大学出版局、2003年
「未来の医療はどうなるのか?」という問いに対する答えの基本的な方向性は、20世紀の末から現在までの一世代で確実に変わってきた。かつては、楽観的な予想が大勢を占めていた。この時点で治せない病気も、科学と技術の進歩により、きっと治せるようになるだろうという答えである。そう考える理由は、医療の歴史に求められてきた。じっさい、医療の歴史はそのように進んできたというのだ。
しかし、いま、同じ問いを発したときに、どんな答えが出てくるだろうか?たしかに、新しい科学技術で病気が治せるようになるという方向の答えは出てくるだろうが、それが大勢を占めるわけではないだろう。「医療倫理が重んじられるようになる」「障碍者の自立が進む」といったプラスの方向、「健康格差が拡大する」「国民医療費が高騰する」「精神疾患がさらに増えていく」などのマイナスの方向、いずれにしても、もっと多様な答えが出てくるだろう。その理由は、過去一世代のあいだに、医療はもっと複雑な現象だということがわかってきたからである。そして、そのような視点から医療の歴史を眺めなおしてみると、それを科学技術の進歩の歴史と考えるより、多様な要素が絡み合いながら変化してきた領域の歴史であると考えたほうが適切である。現在をかなめとして、過去と未来がどんな姿を見せるかという構図のおおもとが変わっている転換の時代、歴史観と未来観の双方が連動して変化している時代に私たちは生きている。過去の人々が楽観的な予想をしたのは、そう信じる理由が十分にある時代に生き、その信念を支えるような歴史の理解をしていたからである。
そのような転換の時期に書かれた新しい医学史は、かつての医学史で語られていたような、偉大な医者たちによる医学理論と治療の技法の発展を語るだけではなく、より複雑な姿を描こうとしている。そのような新しい医学史から、一冊の書物を選ぶのは難しいが、やはり新しい医学史研究の牽引役であったロイ・ポーター(1946-2002)の書物を選ぶべきだろう。数多いポーターの著書の中から、『人体を戦場にして』目羅公和訳(法政大学出版局、2003)がよい。この本は、ポーターが1997年に出版した新しい医学史の通史である The Greatest Benefit of Mankind の簡約版であるが、短い分だけ、メッセージと史実が鮮明になっている。
未来には、現在では治せない病気を治せるようになるだろうという考えは、少なくとも西欧では、近代まで主流ではなかった。古代以来のユダヤ教とキリスト教は、病気を含めた何かによって人間が苦しむことを前提として、その世界の中で、それを受け入れたうえでの救いを説く宗教であった。神は、エデンの園を追放されたアダムとイヴに、パンを得るために厳しい労働で額に汗すること、子供を産むために痛みを感じることを、それぞれ避けられない運命として与えている。じっさい、1840年代に導入された麻酔が、女性の陣痛をなくすのに用いられたときに、その痛みは受け入れるべき神の摂理であるという議論が保守派からでたほどであった。そのような宗教的な考えに対して、18世紀フランスの数学者・思想家のコンドルセ(1743-94)が、『人間精神進歩史』(1795)で、政治体制の進歩、男女の平等、階級や人種の著しい差別の撤廃とともに、医学研究の進歩によって、感染症、遺伝病、風土・食物・労働条件などによる病気がなくなるだろうと宣言したのは、キリスト教が前提としていた世界とは異なった世界を志向する、歴史のなかでの大きな転換を象徴している。
コンドルセの考えは、ただの夢想にとどまらず、その後の2世紀間において、重要な部分において実現された。平均寿命は、コンドルセが書いたころと比べると2倍以上にもなった。疾病の原因は次々に明らかになり、適切な治療法や予防法が矢継ぎ早に開発された。特に20世紀に入ってから、医療は劇的な発展をとげてきたし、現在でも発展は継続している。このような進歩の概念と現実が、歴史において医学の進歩が強調され、未来における疾病の克服を信じる楽観的な態度の背景にあった。
この立場がゆらぎ、未来の医療を予想する答えがより複雑になったのは、20世紀末であった。最大の事件は、HIV/AIDSの大流行であろう。HIV/AIDSは、まさに歴史の皮肉としか言えない仕方で登場した。20世紀の後半の先進国では、感染症は次々と克服されていた。その頂点として、1980年には天然痘の撲滅が国連・WHOによって宣言された。しかし、まさしくその年にアメリカのゲイの奇病として認知され、後に HIV/AIDSとして認められた感染症が、世界に登場した。もともとは20世紀の初期のアフリカで発生し、チンパンジーの免疫不全症のウィルスがヒトに感染してHIVになったと推定されているこの病気は、わずか30年あまりで4千万人が死亡する大流行となり、その流行は現在でも続いている。
この事実が突きつけたのは、医療は、現在存在している疾病を克服するという閉じた世界のゲームではなく、開かれた世界の中で姿を変えていく疾病の集合を相手にしていることであった。そう考えると、歴史の中の疾病も、違う姿を見せてくる。ポーター『人体を戦場にして』は、このように書いている。
1969年、アメリカ合衆国の公衆衛生局長がアメリカ国民に、伝染病の本は今や閉じられた、と語った。病原微生物との戦いに勝利したというのである。この愚かな見解は一世代前に隆盛した近視眼的な医学的楽観主義を図る尺度となる。今日の世間一般の風潮はそれよりずっと醒めている。進化論の見方からすれば、人間が世界的規模で闘っている病気との戦いは、終わりがない戦いにおける現状維持策と見えてくる。
すなわち、新たな疾病が現れたり、それまで風土病だった疾病が急速に世界に広まったり、病原体の突然変異で強い病毒性を持つようになる姿である。HIV/AIDSが第一のものならば、14世紀の黒死病のペストや19世紀にインドから世界に広まったコレラは第二のものであり、1918-19年の「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザは第三のものである。1980年以降のHIV/AIDSの流行は、歴史の見方を変えて、現在のSARSやエボラ出血熱やインフルエンザの型に対する不安を大きくし、未来を不透明なものにしたのである。
医療の未来が複雑になった第二の重要な要因は患者である。こちらは、HIV/AIDSのような衝撃的な事件ではなく、現代社会の構造的な変化に由来する。近代に成立し20世紀の中葉まで支配的だった専門職としての医療者の考えによれば、医療とは医者が主体になって行うもので、患者は受動的な役割に限定されていた。しかし、20世紀の後半には、医療を専門職に任せるのではなく、患者に主体性を与える枠組みへの移行が始まり、患者が自分の病気をどう考えるのか、それをどう表現するのか、そして医療者に何を要求するのかという主題は、大きなうねりとなって現代社会に定着した。現代の患者は、少なくとも制度上は、個人としてインフォームド・コンセントの主体である。個人にとどまらず、患者はミクロな場やマクロな場で「患者会」や患者同盟を作り、さまざまなレベルの政治に深くかかわる存在となった。特に興味深いのは、患者たちが自分にとって病気とは何かを説教的に物語るようになったことである。その用語の是非はともかくとして、日本ではこのような記録は「闘病記」と呼ばれ、一つのジャンルの形成が始まっている。2005年には東京の都立中央図書館は「闘病記文庫」と称して約1,000冊の図書を専用の書架に並べて配列し、これにならって各地の図書館や医療施設、あるいはウェブ上に闘病記のコレクションが作られてきた。これらの現象があらわす、積極的な主体としての患者の登場は、医療の未来を考える上での重要な新しい要素となった。
ポーターの書物の冒頭におかれたヒポクラテスの言葉「医術には、病気と患者と医者の三要素がある」は、新しい医学史の考え方と、「未来の医療はどうなるのか」という問いに対する新しい基本的な態度の双方を象徴している。過去の医学史がそうだったように、未来の医療の形成は、医者たちだけでなく、疾病と患者も大きな役割を果たすだろう。その新しい枠組みの中で医療を考えることが、これからの私たちの課題になるだろう。
ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』上・下、佐々木昭夫訳、中公文庫、2007年
原著は1976年に刊行、1985年に翻訳され、2007年に文庫化。経済史家であるマクニールは、20世紀の医学や自然科学で研究が始まっていたヒトと感染症の生態学の視点を取り入れて、人類の発生から19世紀までの感染症の壮大な世界史を描いた。マクニールの議論は多岐にわたる。たとえば、天然痘をはじめとする急性感染症は、人類が狩猟採集経済の段階では存在せず、農耕牧畜と都市をもつ文明に移行して生まれた、まさしく「文明の病」であり、地球上の文明のあり方に大きな影響を与えてきたことや、感染症の病原体によってヒトが寄生されることを「ミクロ寄生」と考え、一方で国家などによって租税や労働力を奪われ、軍事への貢献を課されることを「マクロ寄生」と捉えて、感染症と国家の双方に寄生される存在としてヒト/人間の歴史を考察するという新しい視点を生み出した。また、14世紀にモンゴル帝国というユーラシアの東西をつなぐ経路を作り出した国家によって、ヨーロッパにペスト(黒死病)がもたらされてヨーロッパの文明の構造を変えたこと、16世紀以降にアメリカに天然痘などがもたらされて高度に発展した文明が崩壊したことなどが論じられている。
スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩』富山太佳夫訳、みすず書房、1992年。原著は1978年に刊行、1982年に翻訳され、1992年に「エイズとその隠喩」を合本して刊行された。著者は文芸評論家で、この書物は、著者が1975年に乳がんの治療を受けた後の療養中に書かれたものである。ガンは本書の重要な主題であるが、個人の体験談を書きつづるいわゆる闘病記の形をとらずに、知的で分析的な評論に昇華させて文学と医学に関する古典となった。ガンと結核という二つの病気について、主に19世紀から執筆当時までの文学と医学にまたがった広い領域から素材を選んで、その病気の「メタファー」(隠喩)について論じている。二つの病気はどのように異なったメタファーをもたらしたのか、どのような空想的なイメージが作られたのか。結核はロマン化され、それに罹った身体は透明化され、患者は気化されたものになると想像されたのか。一方、なぜガンは患者の身体を侵略し、身体の中で固体化し、患者の精神は抑圧されたものとされるのか。なぜガンは政治的な言葉や軍事的な比喩として使われるのか。これらの主題についてのソンタグの分析には、自らがガンとなった経験が基盤として確かに存在するが、その記述にとどまらず、近現代の西欧の文化の分析にまで高められている。
鈴木晃仁
1963年生。ロンドン大学ウェルカム医学史研究所PhD. イギリスと日本の精神医療と感染症の歴史を研究。著書に Madness at Home (2006), Reforming Public Health in Occupied Japan (共著、2012) など。戦前期東京の精神病院の症例誌に基づいた著作を準備している。