柳田國男が「食物と心臓」という文章で、餅はもともと心臓の形を擬したという説を論じている。食物の主題に関する興味深い話で、もとはさまざまな機会に執筆した文章を昭和15年に集成したものである。心臓以外にもさまざまな身体の主題が食物との関連で論じられ、家族や村という社会を媒体にした食物の身体論の方向性を持つ。
餅がもともとは心臓の形を擬していたという説はたしかに非常に興味深い。ただ、どこにどのような形でそれが論拠を持って提示されているかというと、それを読み取るのが難しい。柳田が提示している論拠は、餅の形が三角形になっているのは心臓の形を模したからのだということと、餅は大事な時に食べるものであり、それと同様に身体の中で最重要だと考えられていたのは心臓であると考えられていたということの二点である。最初の三角形の議論は、手持ちの本から五臓六腑に基づいた昔の日本の解剖図や、和漢三才図会など心臓の図を見たが、たしかに三角形に近い形で描かれている。ただ、上に頂点がある三角形かというと、むしろ尖った部分は下に向いている。添付の図版を参照していただきたい。このあたりの議論をどう解釈するべきか、専門家ではない私にはよく分からない。
次の論点である、中国医学の解剖の理解や、柳田が論拠を求めたかに見える江戸時代の身体内イメージにおいて、最重要な臓器が心臓であったかどうかという出発点そのものが、私には疑問がある。もちろん心臓も五臓六腑の一つとして重要であったが、医学史研究者の立川昭二が唱えている、江戸時代の最重要な臓器は「腹」であったという説とどう共存するのだろう。餅が腹に入るということを考えると、この点を論じてほしい。しかも、柳田自身が引用している例に、妊婦や産婦に餅を食わせて力を蓄えさせることを「ハラワタ餅」「ハラバタ餅」と言っていること、ある例では「腸餅」と書いてハラワタ餅と読ませていることがあるのを見ると、ここで使われている臓器は心臓ではないのではないかという疑問がある。
私としてはよく分からない議論だけれども、全体の話としては面白いし、また、食物の身体論が論じられた例として憶えておこう。
「食物と心臓」はちくま文庫の全集の第17巻に収められている。