スヒーダムの聖女リドヴィナ

Bynum, Caroline Walker, Holy Feast and Holy Fast: The Religious Significance of Food to Medieval Women (Berkeley: University of California Press, 1987)
いくら豊かな資料でも、さすがに小説家のテキストだけを裸のまま学生に提示することはできないから、キャロライン・バイナムがリドヴィナについて何を言っているかチェックする。この聖人について数ページにわたって説明している箇所があった。この書物全体で言っている主張を、リドヴィナの事例で確認している議論が大部分だった。中世の食事と拒食について、当時の人々と社会が食物に与えていた意味が重要であったということ。慈善の行為として食物を分け与えることが重要であったこと。聖書に描かれているキリストの奇跡として、ごくわずかの食物で多くの人々の飢えを癒すという主題がリドヴィナの聖人伝にも現れること、一方で断食の主題も重要であること、この断食において、キリストの身体そのものである「聖体」が、ごくわずかの量でありながら聖人の生命を支えるものとして重要であること、その「聖体」だけが聖人が食べることができる食物であったこと、この聖体は聖職者によって聖別されて作られ、特に女性の聖人にとって生存が教会と男性聖職者に依存するという状況が作られること、しかし、それと同時に、女性聖人が聖体が真正のものなのか、それともふさわしくない聖職者が作った虚偽のものかを区別して聖職者に挑戦する仕掛けも作られること。こういったことがらに触れられている。特に最後のポイントは、聖人伝に二章をかけて論じられている、スヒーダムのよこしまな司祭がもってきた聖体のパンと、彼女自身のもとにキリストが現れて与えた聖体のパンをめぐって、彼女と聖職者が争って結局は彼女が勝利したというエピソードをめぐって詳しく説明されている。

ユイスマンスのテキストで最も蠱惑的な箇所の一つが、リドヴィナが恍惚状態になってエデンに行き、そこで処女(童貞女)の群れに混じってキリストの降誕を祝う箇所がある。天使たちの詠歌隊の唄、立ち上る香料、弦楽器のしらべが切迫していく中で、光り輝くイエスが聖母の膝の上に現れる。歓喜の叫びが香炉の聖なる煙と竪琴のざわめきを横切ったとき、処女たちの貞潔な上衣の胸が開いて、まるで波のように乳がほとばしり出た。リドヴィナは至福のなかで、同じように胸から乳を噴き出した。その乳は、むろんキリストを養うための乳であり、それは、夜の空に、無限の星に照らされて、放物線を描いて広がっていった。リドヴィナの世話をする女であったカタリナ・シモンは、下界に帰ったリドヴィナの乳房からほとばしった乳を三度も飲んだ。彼女はその後数日間、どんな食物をとることもできなった。すべての自然な食物は、この乳に較べたら、気の抜けた薬味程度にしか思えなかった。