聖コスマスと聖ダミアノス



『黄金伝説』から、医学の聖人の聖コスマスとダミアノスのエピソードをチェックする。脚の移植手術を扱った話で、後世の医学にいろいろと影響を与えたと思うけれども、詳しいことは私は知らない。この二人の聖人は、西洋の医学の歴史を物語るときに、アスクレピオスヒポクラテスというギリシア系の象徴に較べると、かなりマイナーな脇役の位置を振られていて、あまり目にしないキャラクターとなっている。いま、キリスト教系の医学校に非常勤で教えに行っていて、そこには「ヒポクラテスの木」は植えられているが、二人の聖人は顕彰されていないと思う。西洋医学は、私が知る限りではルネッサンス期から、自らの立ち位置を定めるために、過去を構成して未来を設定してきたが、その中で、この聖人たちは、大きな役割を果たさなかったのだと思う。しかし、移植手術と身体の互換性が前面に出てきた現在、これを聖人の物語に移し替えることは、誰かが考えてもいいだろうし、きっと欧米ではすでに表れているのかもしれない。

以下はメモ。 

聖グレゴリウスより8代まえの教皇フェリクスは、聖コスマスと聖ダミアノスをたたえるためにローマに美しい教会を建設した。この教会にひとりの男がいて、両聖人にお仕えしていたが、以前から片足を癌にすっかりむしばまれていた。ところが、あるとき、彼が眠っていると、聖コスマスと聖ダミアノスが、ぬり薬と手術器具をもってあらわれ、ひとりの聖人がこう言った。「この腐った肉をとりのぞいて、かわりに新しい肉をおぎなわなくてはならないが、さてその肉をどこから手に入れたものだろうか」すると、もうひとりの聖人が答えた。「聖ペテロ教会の墓地に今日エティオピア人がひとり葬られた。あの死体は、まだ新しい。あれをもってきて、ここに使おう」そこで、さきの聖人は、さっそく墓地へ行って、エティオピア人の脚をもってかえってきた。ふたりは、病人のふとももを切りとって、そのあとのエティオピア人のふとももを植え込み、傷口に念入りにあぶら薬をぬった。そして、切りとった病人の脚は、エティオピア人の胴体につけた。さて、眠りからさめた男は、すこしも痛みを感じないので、手で股のあたりをさわってみたが、どこにも変わったところがなかった。年のために灯りをつけてみたが、もう脚のどこにも悪いところがなく、これが自分の脚かとわが目を疑うばかりであった。しかし、ようやくこれは夢ではないのだとわかると、大喜びしてベッドからとび起き、人々に夢で見たことを話し、どのようにして病気を治してもらったかを語って聞かせた。人々は、いそいでエティオピア人の墓に人をやったが、はたしてエティオピア人のふとももは、切りとられていて、かわりに男のふとももが墓に入れてあった。」(『黄金伝説』137章、第三巻、517-8.)