『人国記・新人国記』と近世の<人口の心理学>について

『人国記・新人国記』浅野建二校注(東京:岩波文庫、1987)

ふと思いついて『人国記・新人国記』を読み返してみた。とても大きなヒントと必読箇所を見つけたのでメモ。

 

『人国記・新人国記』は、近世に書かれた風土心理学の地誌である。日本六十余州を国別にして、それぞれに地域の人情を風土に関連させて記述したものである。『人国記』は16世紀の前半に書かれ、武田信玄が愛読した人気書だが、成立・著者などの詳細は分かっていない。『新人国記』は、江戸時代の初期に関祖衡なる人物が『人国記』に説明と地図を加えて書いた書物である。

 

核心の思想としては、地形や風土と人の気質を関連させるというもので、ヒポクラテス文書の「空気・水・場所について」と類似の思想を持っている。山城国の記述で、北山中と深い谷で育ったものは心が質朴であるとか、武蔵国は広原が続き人の心も活気があるという発想と、アジアは気候が温和だから人の心も柔和であるというヒポクラテスの発想は、風土と人間の気質が一体化するという前提に基づいている。環境と人体が通じ合っていること、人の精神は自然環境と融合して機能しているということでもある。

 

人の気質と自然環境の融合のありさまを丁寧に説明している必読の箇所が、『人国記』の末尾につけられた「余論」と題された部分である。天・万物・人を通じて存在する霊的な原理は、土地・風土によって差異化されて、それぞれの国の人の性情の違いをもたらす。そもそも原初には、混沌・未分の霊があり、それが動いて、清が上昇して作られたのが天、濁が下降して作られたのが地である。この霊であり気でもあるものが [この部分をチェックする必要あり] それぞれの土地に流れるときに、地形などによって、中和を持たないもの、ふさがって安からぬものができるて、気がある「偏在」や「形」を持つようになる。その気が、胎・卵・湿・化によって万物に宿ると鳥獣・魚虫・草木になるが、そのときに、気のなかの美と清をうけると鳥獣となり、悪や濁をうけると草木となるのである。これと同様の仕組みで、人も、土地と風土によってその気が異なるのである。堅土の人は剛、弱土の人は懦、沢気の地には女が多く、山気の地には男が多いという。精神医学史的には「広地には仁多く、山には貪(たん)多く、丘の地には狂が多い」という台詞にしびれるところである(笑)

 

近世のパラダイムは以下のようになる。地水風土によって、その分布と流れと質 [ ここを考え直す] が左右される「気」によって、人の情が替わってくるのである。この人情は政(まつりごと)の基本であった。それぞれの土地の人情の利点・欠点を知り、利点を伸ばし欠点を改めて風儀を正しくすることができるからである。この「人」を、その土地に住む「人口」と言い換えれば、「人情」を「心理」と言えば、そこに人口の心理学という近代の人口の科学の基本ができる。

 

 

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