医学校の臨床教育の歴史について

Sint Caeciliaklooster (Leiden) - Wikipedia

 

医学史の教科書の18世紀の章を書いている。これまでルネサンスヴェサリウスの解剖学、宗教改革パラケルスス錬金術、科学革命のハーヴィーと機械論という個人を軸に書いてきた。18世紀はそのような書き方ができない時代であることが大きな理由があって、どう書こうか迷っているが、ライデンの医学校の教授であるヘルマン・ブールハーヴェの節はきっちり書く。さいわい、きちんとした書物を持っているので、これをうまくまとめればいい。

Lindeboom, Gerrit Arie. Herman Boerhaave : The Man and His Work. Methuen, 1968. 

ブ-ルハーヴェというと、臨床教育を導入してヨーロッパ各地に根付かせた重要な人物である。16世紀の初頭に攻撃が始まったガレノスの理論体系は18世紀の初頭には完全に葬られていた。その中で、キリスト教でもアリストテレスでもなくヒポクラテスが選ばれ、ヒポクラテスを用いるイングランドのシデナムが選ばれるという形になる。

また、病院の利用が組み込まれた。これは聖チェチーリア病院という、もともとはライデンの修道女院であり、ペスト患者や精神病患者の隔離収容所であったが、老人病院と市の慈善病院として成立された病院である。1710年代から1730年代まで四半世紀、6棟のうち2棟を実際の臨床講義に用いて、ヨーロッパ各国の指導者となって同じメカニズムを導入した医学教授たちが用いた。

Wikipedia を探したらサイトがあった。オランダ語で書かれていることもあり、現在のブールハーヴェ博物館が、聖チェチーリア病院の跡に建てられているということなのか、よくわからない。

 

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