三島由紀夫『金閣寺』




必要があるという言い訳をでっちあげて、三島由紀夫金閣寺』を読む。この傑作を読むのは久しぶり。

主人公と友人が南禅寺に遊んだときに、着物の女が胸をはだけて茶碗に乳を注ぎ、それを恋人の士官に与えるのを目撃するシーンがある。一度読んだら一生忘れない名場面だと思っている。原文は以下のようになっている。

 「女は姿勢を正したまま、俄かに襟元をくつろげた。私の耳には固い帯裏から引き抜かれる絹の音がほとんどきこえた。白い胸があらわれた。私は息を呑んだ。女は白い豊かな乳房の片方を、あらわに自分の手で引き出した。
 士官は深い暗い色の茶碗を捧げ持って、女の前へ膝行した。女は乳房を両手で揉むようにした。私はそれを見たとは云わないが、暗い茶碗の内側に泡立っている鶯色の茶の中へ、白いあたたかい乳がほとばしり、滴りを残して納まるさま、静寂な茶のおもてがこの白い乳に濁って泡立つさまを、眼前に見るようにありありと感じたのである。
 男は茶碗をかかげ、その不思議な茶を飲み干した。女の白い胸元は隠された。」

中世から近世の西洋では、聖母マリアや「慈善」を擬人化した女聖人が、自らの乳で人間を養うという主題があって、キャロライン・バイナムの出世作 Holy Feast and Holy Fast で分析されている。この分析はとてもよくできたもので、私はよく授業で紹介するけれども、そのたびに、三島の『金閣寺』のこの箇所を思い出していた。 三島も、バイナムも、どちらも傑作だなあ(笑) 

画像は Caroline Bynum, Holy feast and holy fast より。一番下の画像は、ニュルンベルクの噴水だそうです。