日本における夢の記録、幻想の記録、妄想の記録は、西欧の精神医学の導入よりもずっと以前から独自の伝統を持っていた。
夢に関しては、仏教の中に、人々が見た夢を記録し、それを解釈することが、中世から近世にかけて行われて社会に広く定着していたと考えられる。ここでは、いくつかの例を挙げるにとどめよう。明恵上人(1173-1232)は、華厳宗の中興の祖と言われた名僧であり、彼の弟子たちが書いた伝記は、『梅尾明恵上人伝記』として保存された。この書物は、1665年(寛文5年)と1709年(宝永6年)に刊行され、江戸時代の社会に広く普及した。同書を開くと、明恵上人その人や、彼の家族や友人・朋輩たちが観た夢が記され、これらの夢が実世界の事件を予言し、人々が未来に取るべき行動についてヒントを与えるパターンがよく見られる。たとえば、明恵が生まれる前に、明恵の父が京都嵐山の寺の法輪寺で祈っていたところ、夢に一人の童子が現れて、願いをかなえるといって針で父の耳を刺す夢を見たことが記され、母は京都の頂法寺の本堂である六角堂で強を唱えてお堂の周囲を一万遍めぐったところ、金柑を懐に入れる夢を見たと記されている。針で刺されることと、金柑が懐に入ることが、ある夢の解釈法を通じて、明恵が生まれることを予兆するという夢の解釈になっている。(12-13)
あるいは、明恵が7歳の時に、彼の養母が見た夢として、子供の明恵が白い服を着て西に行こうとしたので、白い布で柱に縛り付けたが、引きちぎって去ってしまったと記されている。この話を聞いた高尾の文覚商人は、唐の玄奘三蔵の母もほぼ同じ夢を見たことを指摘し、明恵が仏教に身を捧げる生涯を送るだろうと述べた。(18-21) また、明恵本人が学僧であった時に見た夢は、より直接的な教育の形をとり、現実の世界の僧に尋ねても理解できなかった宗教上の疑問点について、夢の中にインド僧が現れてそれらを一つ一つ解釈してくれた内容になっている(27-29)
このように、明恵上人の伝記を見れば、さまざまな夢が語られ、記録され、解釈されるという一連の行為が、テキストの中に縦横に織り込まれており、そのようなテキストは江戸期に刊行された宗教書を通じて、広く日本の読者に知られていたことであった。
明恵, and 洸 平泉. 明恵上人伝記. 講談社学術文庫. Vol. [526]: 講談社, 1980.
Artemidorus, Daldianus, and 良和 城江. 夢判断の書. 叢書アレクサンドリア図書館. Vol. 2: 国文社, 1994.
Freud, Sigmund, and J. A. Underwood. Interpreting Dreams [in Translated from the German.]. London: Penguin, 2006.