ウェルカム財団から文系の若手研究者とその指導者へのメッセージを読んで、複雑な気持ちになりながら、確かに一理あると思った。
話は簡単で、一流の研究者を目指すのか、それを社会と文化に広げるのかという<選択>の問題である。研究者を目指すための方法は、総じて簡単である。というか、簡単であるように作られている。インパクトファクターが高い雑誌に一流の学術論文を書き、優れた学術書を書き、力が入った論文集を編集したりすればいい。大学の教員や研究指導者としては、水準が高い研究をやりなさいと言えばいい。それをやれない場合はダメだし、やっても職を取れない場合は残念だと言えばいい。そのケースでは非常勤で生活していくという方法もある。小さな話だが、日本の学術文化の中でなんとかなっているように思う。
しかし、優れた別の能力を持っている人々の力が発揮されないケースもある。もしかしたら、そういうケースの方が多いのかもしれない。物書きになりたいのに、学術の枠組みの中で仕事をしているとはどういうことなのか。プロジェクトを組織して実行する力が圧倒的にあるのに、研究者としての仕事をしていることはどういうことなのか。力の無駄遣いではないのだろうか。だから、PhD を取るためには、研究者としての能力と、それ以外の能力を鍛えるコースも作るべきだろうという議論である。多くの側面で良い議論だと思う。