先日の Tokyo College で英語の講演会が開かれた。二回予定されている Pandemic and Cleanliness に関する講演会の第一回で、藤本大士君や HungYin さんが優れた講演をした。私は “The Global Re-distribution of Health and Cleanliness Risks: the Cases of Clinical Trials” と題して、治験という方法が公正さを目指すと同時に歪んだ状況を作り出す状況の話をした。これはオリジナルな研究ではなくて、大学院向けの講義の準備であり、医学史の専門家向けの話ではないが、とても面白い主題であって、機会を見つけては勉強している。
治験は20世紀の後半に導入されて、医療が前進するための重要な中核になった。ヘルシンキ宣言 (1964) などが軸になっているし、ナチス・ドイツや日本の731部隊のような極端な人体実験や、より日常的な臨床に入り込んでいた無造作な人体実験を改革するための方法である。
20世紀の前半から中葉にかけて発見されたインシュリンやペニシリンなどの劇的な効果を持つ新薬の時代が過ぎて、それらよりも有効性が「少し高い」新薬や新しいワクチンが開発されるようになる。その時には、新薬などが、すでに受け入れられたスタンダードな療法よりも優れていることが証明しなければならない。動物実験などをしてあとに、数が比較的多い患者やヴォランティアなどに組織的に実験しなければならない。そのメカニズムのもとで行われた、患者に新しい薬を与え、それがスタンダードよりも優れていることが証明されれば、新薬が有効であると決定される。そのなかで、RCT (Randomized Controlled Treatment) や EBM (Evidence-Based Medicine) などが使われている。
これは素晴らしい概念や理論に関する議論である。ただ、現実は、過去においてはもちろん、現在においてもかなり歪みがある。治験の実践はどうなっているか、具体的に何が起きているか、そのメカニズムの狂いはどうなっているか、治験はどのようにずれているかを調べなければならない。
かつては、囚人や病院患者などが、彼らの合意とはほぼ無関係に実験台となっていた。王子脳病院でも、1930年頃に病院にマラリア療法が導入されるときに、病院内にマラリアに罹患している患者が継続的に存在するために、マラリア療法とは無関係な患者に、人工的にそれを実施していた。
昨日の話では、HIV/AIDS とサハラ以南アフリカを軸にして、Sonia Shah 先生や Adriana Petryna先生の本を読み、若い大竹裕子先生などに文献を紹介してもらい、2015-16年にフランスで起きた CROが起こした治験での事故の話、2020年の corvid-19 のワクチンに関する話も紹介しておいた。医療が進歩するためにはほぼ絶対的に必要な治験が、倫理的なグレーゾーンを作り出してしまう面白い事例だった。
そのような話を実佳としていたら、2016年にBBCが作った New Blood というドラマがあり、その第一回がインドにおける治験の乱用が主題になっているということを教えてもらった。アマゾン・プライムで無料で観ることができる。『ナイロビの蜂』にも言及したが、次にはこれも使わせてもらいます(笑)
Amazon.co.jp: ニュー・ブラッド 新米捜査官の事件ファイル(字幕版) : ベン・タバソーリ, マーク・ストリーパン, マーク・アディ, -, イヴ・ガティエルズ: Prime Video