『医界の鉄椎』

必要があって、和田啓十郎『医界の鉄椎』を読む。明治43年に出版された書物で、日本における漢方医学復興の一歩となったことで有名な書物。

全体に、漢方と西洋医学の長短を冷静に見極め、西洋医学一辺倒の時流を批判し、西洋医学の短所を批判し、漢方医学の長所を論じるという趣旨である。その記述は的確で深いものが多い。漢方医学の歴史の研究者でなくても、読んでおかなければならない書物だが、私は、読むのは初めてだった。不勉強を恥じる。

10才すぎのころに、貧しいが名医である漢方の医者が難病を治すのを見て漢方医学を志す。22才で信州の松本から上京して済生学舎で医学を学ぶ。決定的な出会いは、古書店で吉益東洞の医書を見つけたときで、それ以来、古方の医学を研究する。

漢方は長らく停滞しているという批判に対し、和田は、当時の西洋医学も、こと治療学に関しては、それほど進歩しているわけではないと答える。今の医学は、長足の大進歩をしているというが、これは、言語上の慣例にすぎず、それを事実と信じてはいけない。とkに治療については進歩は遅々としたものである。漢方では、安全で完備した治療法があるという。だから、洋方医学の理論と漢方の方剤の実践を組み合わせるのがいいという。これは、普通の「和魂洋才」のパターンと違うことに注意。

漢方には妄説が多いという。これを和田は否定しないが、西洋医学にも妄説が多いという。ガレノスが熱病患者に保温主義をとったのは害は少なくなかった。しかし、現今の西洋医学が、熱病と言えば、基準を体温計の指示のみにおいて冷却することばかりで、保温が必要な熱病患者がいることを知らないのは情けない、という。25

日本人は植物食だから、薬も、草根木皮を中心とした漢方がいい。ちなみに、食物が、かたよりがないようにするように、薬も、同じ薬を長期連続して飲ましめてはいけない。 32

漢方の「対症療法」というのは、正症、仮症、逆症、壊症など、病気の現れや、治療の結果現れてきた症状など、さまざまなものを精妙に区別する治療である。熱があるから解熱、痛みがあるから鎮痛といった、単純すぎる西洋医学の対症療法とは違う。

西洋医学の原因療法が成立しているのは、十指に満たない。 

脳神経衰弱というのは、昔はない病名だったが、最近は、すこし気分がすぐれないものは、私は脳神経衰弱にかかったというほど、有名な病気になった。しかし、自分(和田)は、この病名を自分で使ったことはない。症状も治療法もよく分からない、混乱した疾病概念である。症状をみると、この病気の原因は脳自体にあるのではなく、五臓六腑や血行、呼吸などにあるのは明確である。これらの機能障害が、内側に陥入して起きたと考えるべきである。そして、これは、西洋医学の医原病というべきで、自分が診た、他の医者に神経衰弱だと言われた患者は、単味苛烈の薬を連用したことによるものばかりである。これは、解剖局在的な病名を付すべきではない。薬が効いていないことを覆い隠し、ブドウ酒剤を長期にわたって服用せしめる、医者のドル箱的な病名である。

常人に接し、常形を視、常脈を切すること三年、と漢方の偉い先生が言っているのを引いて、「これは、実験的基礎医学にあらずや」と大見得を切っているが、これは、ちがう。 それは観察であって、ベルナールの実験とは大きく違う。きっと、日本で「実験」という言葉は、書物で知るのに対比して、実際に観察する、という意味で使われていたのが、この誤解を生んだんだろうな。