「民衆の深層の知」が出現した事件の分析と、必ずしも深層ではないが(いや、深層だろうか?)、民衆が明治以前の漢方医学を通じて持っていた概念が、西洋の精神医学、特にクレペリン流の身体的な精神医学の通俗化により変化していく過程が、精神医学史上の事件の点描を通じてたどられている書物である。深層の知の分析としての素材は、徴兵令に反対する血税一揆の分析で、徴兵令に反対して、西洋人とその手先が人民から血を絞りとり膏薬を作ろうとしているという民衆の神話的なコスモロジーが発現して、血税一揆となったありさまが記述される。 このあたりはいい。
もうひとつの通俗化の分析は、「脳病」「神経病」という病名が果たした役割であり、こちらは(私にとって)読みごたえがある分析が展開されていた。テーゼを一言でいうと、医者よりも新聞広告が重要だった、というものだ。「「脳病」「神経病」の薬を宣伝した新聞広告によって、脳や神経が病むという、感覚と知覚の再組織化が起きた」となる。明治政府が民衆に害悪を与える「俗信」「迷信」などを弾圧しようとしたときに、それが医学を妨害するものであるということを一つの理由としていた。国家的なプロジェクトとしての西洋医学は、逆説的ながら、<迷信>とともに進歩するのである。いわば迷信の捏造によって、西洋医学は全国均一のイデオロギーとなった。これとともに、医者の用いる言葉や身振りは「制度の知」となっていく。
医療が権力を基盤にした制度の知として樹立されていなかった時代から、心身を管理し統括する社会テクノロジーとなる過程で重要なのが、「狐憑き」の変容である。狐憑きの精神医学化はその病理化を、新聞だね化はその通俗化を、それぞれ相乗的に推し進め、生物学的な器質性と心理学的な社会性を、狐憑き、ひいては精神病にきざみこんでいく。そして、精神医学の通俗化は、精神科医や啓蒙家のようなイデオローグではなく、民間の真っただ中で、噺家、広告屋、コピーライター、巡査、そして病院などがになった。
この精神医学の通俗化の回路を復元するのは難しい。まず重要なのは、近代小説が人間の「内面」という描写の対象を作りだしたことである。ここで取り上げられているのは坪内逍遥で、人間の内部に情欲を仮構し、これが刺激になって生み出す感情を模写することが文学の使命であると宣言した。心身の一定の徴候が、肺病・脳病など、特定器官の病気として設定された。我々の言葉を使うと、「病気の局在」の通俗化は小説をもってはじまったのである。そして、腎虚、癇癪、血の道、気のふさぎといった病気が、脳病・神経病に包摂され、精神医学の通俗化が、インパクトがある広告によって達成される。すると、次第に、その病名の意味する病気へと変化して、局在すると思うようになる。これが通俗化である。
著者は医学史の研究者ではないし、外国の狂気の歴史の研究の状況もフーコー以外は知らないようだから、議論の不備はもちろんあるけれども、もともと、あらを探すためではなくインスピレーションを与えられるために読んだ本だから、とても楽しく読んだ。 洞察のある部分はとても鋭いところを突いているのではないかと思う。