必要があって、近代日本の精神医学の歴史研究の最新作を丁寧に読み直す。文献は、兵頭晶子『精神病の日本近代―憑く心身から病む心身へ』(東京:青弓社、2008)著者は、第一回日本思想史学会奨励賞を受賞した若手のホープの研究者である。
民俗学と日本史の二つの畑で訓練された研究者らしく、憑きものや民俗など、日本史研究者があまり手を出さないような領域に果敢に踏み込んで、それを近代日本の精神医学・精神医療の歴史の発展と絡めている。サブタイトルの「憑く心身から病む心身へ」というのが、議論の枠組みを表現していて、かつての「狐憑き」などのパラダイムにおいては、人間と社会関係などとの関係性において認識され、民衆社会の方法を用いて短期間で治癒可能だと思われていたが、それが迷信として攻撃され、明治期の西洋医学の導入によってそれを西欧流に精神疾患と考える態度が確立し、不治で長期監禁しなければならないものと思われるようになるというのが大筋である。
いい事をすごくたくさん言っていて、鋭い洞察がたくさんあるから、この書物が高い水準のものであり、誰もが多くを学ぶであろうことは疑いない。私も非常に多くの洞察をいただいた。それを断っておいたうえで、私は、この書物の全体的な構図は不用意に作られたものであり、事態を捉えていないと思う。問題の第一のキモは、「憑く心身から病む心身へ」というのが、歴史上の「シフト」なのかどうかということである。このシフトが「何における」シフトなのか説明していないというのは、私としては信じられないことだった。江戸時代人は人に狐が憑くと信じていた。明治期以降、西洋近代の精神医学が現れて人は心身を病むと信じるようになった。だからそこにシフトがあったという程度の考え方で議論の根本を作ってしまったのではないかと思う。
著者の議論が歴史的に的確であるためには、1) 江戸時代には憑いたと考えられていたのと<同じ>現象が明治以降には心身を病んでいると考えられるようになったこと、2) この現象が明治以降の精神医療にとって重要であったこと、この二つが立証できるかどうかが議論の核になる。そのどちらも著しく不十分な説明しかされていない。ベルツたちが日本の憑きものは精神病だといったことはもちろん事実である。これが、民俗学者たちが注目して重視したくなる現象であることも理解できる。しかし、そのことが、どの程度、明治以降の精神医療の形成に重要だったのかを判断するというのは、まったく別の話である。この基本的にはウェーバー流の「世俗化」とか「聖俗革命」のモデルが、どの程度まで、明治以降の精神医療への転換にとって重要だったのかは、きちんと説明しなければならない。民俗学の世界ではこれを出発点にして話を進めていいのかもしれないけれども。
第二のキモは、明治以降の精神病は長期監禁の対象となったというクロノロジーが「あやしい」ということである。明治以降で長期監禁された例はもちろん存在する。そのことと、「明治以降の精神病者への処遇は、江戸時代と較べたときに、長期監禁に移行した」ことを議論するというのは、まったく別のことである。特に、江戸時代にすでに「乱心」というカテゴリーが「狐憑き」と部分的に重なりながら存在したこと、「乱心」者は長期の監禁を受けていたケースもあったこと(ある事例では40年だそうだ)を考えると、江戸時代の精神病者の処遇が短期的なものだという主張は理解できない。(「狐憑き」の事例は、彼女も言うように短期的なものなのだろう。というと、明治以降の精神病院や私宅監置に対比させる江戸のカウンターパートとして、どうして「乱心」ではなくて、「狐憑き」を選んだのかという話になる。)また、明治以降が長期監禁の時代だというのもあやしい。明治以降の精神病院の多くは私立であった。第二次大戦の前には、公立精神病院の数は7、私立はその20倍の150だった。私立精神病院の患者の圧倒的多数は在院3カ月以下の短期滞在者だった。私のデータで中央値をとると40日である。
この書物は優れた研究の産物であり、よく考えられている分析を多くそなえ、読んだ人の多くが良い書物だと言うだろう。私もそう思う。しかし、私は、この書物は、その基本的な枠組みにおいて事態を捉えないまま、それぞれの各論の展開に入っていってしまった、失敗した研究だと思う。