呉秀三の狐憑き論

ついでに、呉秀三が『精神病学集要』に記した狐憑き論を読む。私がもっている創造出版のりプリントでいうと、上巻の104頁から。

狐憑き」と一言でいっても、その内実は多様な現象で、呉は、大きく分けて三つの現象をわけてみる。一つが、狐憑きについての妄想を持つ例。(「私には狐が憑いた」という妄想を持つこと)、第二が、狐が出てくる妄覚(「狐の姿が見える」「狐の声が聞こえる」)、第三が、本人意識が狐に変わってしまう。(たぶん、コンコンないたり、油揚げを多食したり、四つん這いで走り回ったりする症状を考えればいいのだろうか)それに加えて、周りとの関係の中で発生してしまう狐憑きもある。周りが、これは狐憑きだというと、ヒステリー患者のように周りが喜ぶことを創作する人や、知力が低くて他人の言動によって自分を決める者は、自分がキツネに憑かれたというふるまいをするようになる。一方、狐憑きだと認められると、お狐さんをもてなすこともあるから、この場合は、性欲・意思が亢進すると、傍らの人の言語挙作に乗じてこれを利用しようとして、狐憑きということになる。もちろん、狐憑きだということが分かると、鞭で叩いたりして狐を追い出すということもあるから、「狐憑き」というシナリオに合わせて行動することで、患者が常に得をするわけではないのだけれども。(このあたりは、呉は門脇の『狐憑病新論』に依存している。)