兵頭晶子「民間治療場の日本近代」

兵頭晶子「民間治療場の日本近代―『治療の場所』の歴史から」『臨床心理学研究』50(2012), no.1, 2-14.
同じくいただいた論文を読む。

現在の日本における精神医療は精神病院が主軸になっており、先進国の中では精神病院の数が圧倒的に多い。この状況はしばらく前から反省されており、たぶん私が生きているうちには脱・精神病院の大きな転換が来るのかなと思っている。その中で、精神病院ではない医療をポジティヴに捉えるのが一つの大きな流れになっており、この著者もその一人である。どのようにして脱・精神病院するかをめぐっては意見の違いがあると思うが、この著者の方向は、過去の民間医療における地域と家族の参与にポジティヴな光を当てるものである。

近世の民間医療においては、山に行って薬用植物を取ってきて自家製の薬草を作り、温泉に行き、村に住む修験者に災厄除けや治療をしてもらうことが一つの標準であった。同じパタンが精神病者への民間医療に用いられた。眼病の治療に水がよく用いられたように、精神病者の潅滝があった。病者、家族は米を持参して自炊しながら祈祷をした。呉秀三に代表される精神病学は、この民間治療がある種の価値を持っていることも認識して、たとえば宮城県の定義温泉は理想的なものであると考えていた。しかし、その時に近代精神病学が読み込んだものは持続浴であり開放的な治療空間であった。水治療という媒介を経て、民間治療場を差異的に評価する尺度を得て、医学の監督を受けることで良好な治療所を作ることが大きな流れとなっていく。水治療や精神病院によって代替可能ではなかった、民間治療所の本質、すなわち地域の人々と家族が主体的に病者にかかわる治療の形は失われていったのである。なお、天皇の墓地や行幸などが民間治療場を閉ざす方向に向かうこともあった。

いわゆる地域医療というのは、長期滞在型の精神病院を閉鎖して、外来と地域にはりめぐらされた看護でケアするもので、欧米では1960年代から70年代にかけて急速に実現され、精神医療におけるコスト削減という政治的な右側からの関心と、患者の人権擁護や隔離反対、あるいは反精神医学という左翼からラジカルの関心が一致して実施されたものとして、皮肉交じりで語られる現象である。日本で地域精神医療の実現のために努力されている方々の真摯さに敬意を表すると同時に、歴史学者としては皮肉な思いもあって、欧米では精神病院が飽和してオルタナティヴを探す動きが確立した1920年近辺に、呉秀三が精神病院に夢中になったのと同じ現象が一世紀後にも起きるのだろうかという印象を持っている。そのあたり、現在よりももっと深みがある議論ができていいはずである。