ゴシック・エピデミオロジー

必要があって、黒死病のヒストリオグラフィについての論文を読む。文献は、Getz, Faye Marie, “Black Death and the Silver Lining: Meaning, Continuity, and Revolutionary Change in Histories of Medieval Plague”, Journal of the History of Biology, 24(1991), 265-289.

ポイントは二つ。まず、14世紀の黒死病についての同時代の記述から。神の怒りが原因である、それと併存して自然的な原因(天体の運行や火山の噴火)なども唱えられていたが、意表をつかれて面白かったのが、唯名論についての議論。同時代には唯名論の論争があり、それが「普遍」に対して行った攻撃が、社会の存続に必要な靭帯を破壊してペストをもたらしたという見解があった。これを唱えた人間として、Konrad von Megenburg という年代記作者と、『農夫ピアスの夢』のラングランドがあげられている。

もう一つのポイントは、こちらが論文のコアで、19世紀の「ゴシック・エピデミオロジー」について。黒死病がヨーロッパの歴史のメインストリームに入ったのは19世紀である。それまでの扱いは軽く、『百科全書』では、コラムの1/4 のスペースしか与えられていない。状況を変えたのは、ベルリンのユスティン・ヘッカーという医者が、コレラがヨーロッパを席巻していた1832年に出版した『14世紀の黒死病』であった。(ちなみに、この論文は Justin という記述をしていて、本を調べると Justus になっている。)コレラの流行の影響あり。)この書物はあっというまに英語、イタリア語、フランス語、オランダ語に翻訳され、ヨーロッパに共有された。この書物は、新しい科学としての疫学(エピデミオロジー)を作ると同時に、畏怖の念を起させるような自然の圧倒的な力を記述するものであった。それは、人智を超えたものであると同時に、英雄的な荘厳さを持つものでもあった。東洋からきた怪物でもあった。これは、当時のロマン主義におけるゴシック趣味を吸収したものであった。そして、これは、「新しいものを生み出す自然」というロマン主義の思想とも共鳴して、黒死病は新しい時代を生み出すパワーを持ったものとして理解された。日本の公衆衛生の歴史で「コレラは衛生の母」というセリフがあるが、ここにも、たぶん、19世紀のゴシック・エピデミオロジーのエコーがあるのだろう。