民族差と梅毒性精神病

必要があって、梅毒精神新病の民族差についての論文を読む。文献は、今村新吉「南洋における麻痺性痴呆」『今村新吉論文集』(東京:創造出版、2003)、192-219.

今村新吉は京都帝国大学の精神科の教授で、フランスの影響が強い「フランス学派」の精神医学を日本に根付かせたといわれる。これは、彼が昭和11年に『ルエス』という梅毒専門の雑誌に掲載した、ジャワの精神病院における梅毒性精神病の民族差についての論文である。南洋への進出が話題になったころの需要に応えたのだろうか。

クレペリンは1904年にジャワを訪問して現地の精神病院の患者を調べ、「土人」の患者の中に梅毒が進行して起きる麻痺性痴呆が少ないことに目をとめた。欧州人患者50人のうち8名はGPIだったが、370人の土人の中にはGPI患者は一人もいなかった。クレペリンは慎重だったが、ジャワの医者の中には、土人はGPIにかからない、またはかかりにくいということを鵜呑みにしてしまったものもいた。この短絡の背後には、梅毒は脳髄が文明によって過労した場合のみその実質を犯すという学説があったからである。文明人は梅毒に対してヴァルネラブルである、civilization was syphilization の謂いである。

まあ、土人は梅毒になってもGPIにならないというのは信じがたい話で、丁寧に調べれば、もちろん土人の中にもGPIは見つかったので、土人のほうがかかりにくいということになった。しかし、優れた精神科医が、土人が精神病院に入る時のメカニズムに着目して、民族によるGPIの違いはみかけのものではないかという説明を試みた。欧州人が治療のために入るのに対し、土人の入院は治安処分に出発する。不法行為―警察署などに留置―精神病院と移送されるが、精神病院が混んでいるので、この移送に著しい遅延が発送する。GPIは急性疾患なので、発病しても収容前に失われているというのだ。

それ以外に、フランベシアが梅毒の予防になるか、自然マラリアが麻痺性痴呆を治すかといったことが論じられていて、どちらもありそうにないということになっている。

麻痺性痴呆(GPI)という病気は、精神医学史の研究者だけがなじんでいる病気である。精神科のお医者さんが多い学会では、この言葉は、まず冒頭にゆっくり説明しないと、彼らは「聞いたことがない精神病」だと、困惑した表情を見せる。これは、抗生物質で梅毒が制圧された結果、梅毒が進行してかかる精神病がなくなり、精神科の医者が見たことがないどころか、精神科の教科書にも現れなくなったからである。先日の学会でも、70歳くらいの精神科の先生が、「進行麻痺をある程度みた世代というのは私たちが最後だと思う」と言って発言して、たぶんいま30歳代で進行麻痺なんて一度も見たことがないのに進行麻痺の病跡学を大展開していた若い先生が憮然としていた。