タンボラ火山の噴火(1815)とコレラ菌の突然変異

タンボラ火山の噴火とコレラ菌の突然変異

 

Gullen D’Arcy Wood, Tambora: The Eruption That Changed the World (Princeton: Princeton University Press, 2014). [Chapter 4, “Blue Death in Bengal”, 72-97.] 

 

先ほどLRBで書評されていた書物の本体を読む。書評で紹介されていたのは、1815年のインドネシアのタンボラ火山の噴火によって、インドのベンガル地方コレラ菌が突然変異して風土性のものから流行性のものになり、世界に流行して19世紀の医学、公衆衛生、想像力にとって重要な主題になったという話である。本体はやはりいい議論で、書評はされていなかった二つの重要な議論があったので、それもメモしておく。

 

基本的な話は1817年のインドのイギリス軍がコレラの突然の流行で壊滅的な被害を受けたことから始まる。これを2年前の1815年4月10日のインドネシアのタンボラ火山の巨大な噴火で吹き上げられた噴煙やアエロゾルにより、インドの気候が短期的に大きく変動したこと、気温は高くなり地表の温度は下がったこと、コレラ菌の生態系であったベンガル地方のガンジスデルタの環境が大きく変わったこと、モンスーンが来るタイミングなどが2年にわたって激変したこと、それによってコレラ菌が変異を起こして強毒で感染性が強いものになったこと。これがコアの議論である。タンボラ火山による異常気象が原因でコレラ菌が特定の形に変異したという議論は、直接の証拠はなく、状況証拠とその議論を間接的に支える論文が列挙されている。

 

とても面白い話が二番目。コレラの環境説の衰退と復活の話である。インドの人々はこの異常気象をまともに経験していたわけだし、気候や環境によって病気が変化するというのはヒポクラテス以来の伝統であるし、またイギリスの帝国が世界的に広がっていることから、インドのカルカッタのイギリス医である James Jameson は、ベンガルの異常気象によってコレラが異常化されたという報告を行った。この1820年に発表された説は、その後の19世紀の医学と公衆衛生によって否定されていくことになる。19世紀のヨーロッパの公衆衛生にとって、コレラは気候変動の産物ではなく、国家の失敗、たとえばその貿易を適切に管理することや、多くの移民の貧困者が住む大都市を清潔に保つことなどに失敗している記号として解釈された。神の処罰ではなく、自然の変異でもなく、人間の失敗の産物であり改革が必要な問題の記号であった。しかし、21世紀になって、ジェイムソンの気候説が正しかったことが証明されるという皮肉。

 

もう一つが、コレラの文学の問題。著者はコレラは文学の主題にならないと言っている。たとえば結核であれば文学のメインテーマになるが、コレラは短く悲惨で汚いから文学にはならないという。しかし、一つの例外がメアリ・シェリーの The Last Man (1826)であるという。本書の著者の一つの強みは、環境や気象の歴史だけでなく、社会や文化も抑えているトータル・ヒストリーを書けるということである。シェリーやバイロンのサークルについての知識は素晴らしい。

 

写真はタンボラ火山のカルデラ。たしかに大きいなという気がする。

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