必要があって、近世の女性と医療についての雑誌の特集号を読む。文献は、Fissell, Mary E., “Introduction: Women, Health, and Healing in Early Modern Europe”, Bulletin of the History of Medicine, 82(2008), 1-17. 筆者は、私が最も尊敬する医学史の研究者の一人で、この論文でも洞察の冴えと深さは健在で、時代も対象も全く違うのに、自分が今考えている問題について重要なインスピレーションを貰う。
初期近代の女性と医学については、80年代から90年代にかけて現れた産婆や出産の研究が蓄積された。フィセルなどの優れた研究者に恵まれて、その研究の上にたって、新しいスリリングな展開が続いている。フィセルのまとめによると、一つは「職業」という枠組みを離れることが有望だという。近世の女性が医療・ケアについて行っていたのは、当時の女性一般と同じように、「都合とその場しのぎの経済」economy of expedients and makeshifts であった。固定した境界はなく、むしろそのような境界が作られ、唱えられ、そして破られている具体的な状況であった。
また、女性の医療関連活動は、ドメスティックなもので、コマーシャルな領域の外にあった(シャドウ・ワーク)ことが前提されているが、この前提も再検討されている。女性の医療活動が、マーケットから孤立して行われていたという前提の再検討である。カリカチュアすると、裏庭から薬草を摘んで台所で煎じて家族に飲ませていたものと考えがちであるが、経済の中、それも薬の経済であるから、グローバルな経済の中に組み込まれていた。イギリスの女性は、イングランド中はもちろん、カリブ海や地中海各地からきた原料を用いて、自家製の薬を作っていた。また、最近さかんに分析されている「レシピブック」―料理のメニューと薬の調合法が記入された家庭薬記録簿のようなもので、膨大な数が残っている―の分析を通じると、レシピを交換し、書きとめるということと、著者になって出版するという、商業・公共の行為との間には連続性があった。
もうひとつ、フィセルが “bodywork” と呼んでいる、近年、注目を集めている歴史の主題がある。人間の身体を使って、人間の身体をケアする行為への注目である。これは、マッサージや医者の聴診器の当て方や身体測定を受ける時の姿勢など、色々な文脈で現れるが、フィセルがここで触れているのは、近世ロンドンの「サーチャー」と呼ばれた女性たちである。人が死ぬと、その死体を調べ、死因を特定してまわる女性たちで、これまでは、医学の素養がない彼女たちのせいで当時の死因統計が信用できないものになっていると、歴史学者たちから軽蔑的に語られてきたが、このサーチャーに新しい光を当てている。