『西遊記』(五)

全十巻のちょうど半分まで。ここでは大きなエピソードは二つ。鹿、虎、かもしかが化けた三人の道士が信じやすい国王を言いくるめ、道教を尊ばせて仏僧を迫害している国に一行が到着する。悟空はこの三人の道士を打ち破り正体を暴くのだが、その時に悟空と道士たちの雨降らせ合戦はスピード感がある一大スペクタクルである。また、悟空が自分の小便を聖水として道士に与えて飲ませるところは下品でたくましい笑いがある。

もうひとつのエピソードは、子供向けの話でもおなじみの通天河のお話である。妖怪が大河を氷でおおい、その上を歩いていた三蔵は水の中に引き込まれてしまう。水が苦手な悟空は戦いあぐね、やむなく観音様に頼むと、観音様は竹のかごを編んで河の中から一匹の金魚をすくい上げ、池で飼っていた金魚が経などを憶えて逃げ出して妖怪になったのだと悟空に説明するというストーリーである。この「落ち」は、『西遊記』らしい崇仏思想と言ってしまえばそれまでだが、子供のころにとても印象に残っていた。とくに、このエピソードは、猪八戒や沙悟浄がまぐわや宝杖をふるって解体工事的なことをする大立ち回りがあるだけに、観音様が軽やかに金魚をすくい上げて事態を解決するのが、子供の時にもかっこいいなあと思っていた。

今回読んで、観音様の金魚すくいのエレガンスがもっと鮮明になった。悟空が観音様にお願いにいくと、観音様は竹林の中で小刀で竹を削っている。

はるかまします観音菩薩
竹の葉敷いてあぐらかき
素顔のままのお姿は
しなやかな美いやまさり
くしけずらぬ髪そのままに
玉のかざりも帯びられず
藍のうわぎも召されずに
肌着のみまとわれて
腰には錦のはかまのみ
おみ足あらわに覗かせる
錦の肩ひも結ばれず
眩いかいなもそのままに
玉の御手に小刀にぎり
いまし削るは竹の皮

お化粧もしない素顔で、軽く肌着をまとっただけの素肌がまばゆい観音様の姿には、上品なエロティシズムが漂う。悟空をともなって河の上空にきた観音様は、肌着を結ぶ紐をほどいて極限のセミヌードになると、編んだばかりの香り高い竹かごにゆわえ、それを河の中になげこんでたぐると、妖怪に変じていた金魚をすくいあげてしまう。・・・なんてかっこいいんだろう(笑)

えっと・・・こういうヒロイン、西洋の神話にもいたと思う。 大の男が大汗かいてもできなかったことを軽々と解決してしまう、なよっとしてセクシーな女性。 ・・・誰だったかな。