古代におけるギリシア・ローマの医学とキリスト教の医学

Ferngren, Gary B., Medicine and Health Care in Early Christianity (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 2009).

古代ギリシア・ローマの医学と、初期キリスト教徒の社会との関係を論じた書物である。専門でないから正確に誰それのこのモデルということはできないが、これまでの授業をする中でギリシア・ローマの医学とキリスト教の医学の関係について私が感じていた不安を解決する一つの有力な方法であることは間違いないと思う。以下の記述は、古代・中世を専門としないけれども、医学史の授業で必ず古代のギリシア・ローマ医学とキリスト教の医学に触れる教師の感想だと理解していただきたい。

 

古代のギリシアとローマの医学を教えるときには、あたりまえにヒポクラテスとガレノスを教える。標準的な研究書に書いてあることを興味深い形でまとめたものである。二人とも水準が高い医者で、後世から見て重要なことを数多く残しているから、話はかなり盛り上がる。次の回では、まずキリスト教の話で始める。ここではホスピタルの話で盛り上がる。ローマ帝国末期から東ローマ帝国の主要都市に、数百人の患者を収容できるホスピタルが作られており、専業の医者がやとわれ、ハンセン病患者用の別病棟があったということを教える。キリスト教の社会において慈善医療が大規模に発展したこと、それは日本がついに明治期までまともに作ることができなかったホスピタルという組織であったということを論じる。このあたりは話は順調に盛り上がっていき(笑)、何の問題もない。

 

私にとって不思議だったのは、そのような洗練されたホスピタルの医療を施していたキリスト教社会における通常の医療について私が持っている知識が、その洗練としっくりこなかったことである。いわく、キリスト教宗教的な疾病の解釈を優先して物質的な解釈を批判した、いわく、キリスト教は疾病は神の罰だと考えて神の意にすがることを優先した、いわく、キリスト教は異教の学知と技術を批判した・・・ 言ってみれば原理主義的な態度を医療に対してとったということである。そういう人も居ただろうし、そういう局面ももちろんあっただろう。しかし、キリスト教はそんなに原理主義的な宗教であり続けたのだろうか。しばらくすると、ローマ帝国の上層部を含めた社会層が信じていた宗教であり、その上層部が医療を受けるときに、それほど原理主義的な態度をとったのだろうか。常識で考えると、さまざまな文化資産を持っている彼らが、病気になるたびに宗教だけにすがっていたと考えるのは難しい。また、病気が罪に対する神の罰ならホスピタルは何の意味があるのかという疑問がある。このような疑問はあるけれども、いい研究書を探せていなかったので、とりあえずそのままにしておいた。

 

この本の説明で、かなり納得がいった部分がある。キリスト教を過度に原理主義的に捉えることは間違っていること、そしてホスピタルはローマ帝国がそれ自体としては持っていなかった医療の仕組みを作り上げて、改宗の原因にすらなったこと。とてもいい説明で、ギリシア・ローマから4世紀以降のキリスト教のホスピタルの話につなぐことができるようになったと思う。