ピルトダウン化石人骨ねつ造事件と1910年代の河上肇の記事

河上肇(かわかみ はじめ、1879-1946)は日本の経済学者である。京都大学の経済学部で教授を行ったのち、日本共産党に入党して尖鋭な活動をした。1916年に『大阪朝日新聞』に連載した記事をまとめたものが「貧乏物語」として刊行される。イギリスびいきから見るとイギリス風のよい経済実証の話があり、ここに経済と身体・疾病の関連を読み解くマテリアルがイギリスから集められている。世帯の収入と、子供の身体・栄養物・疾病などとの連関を論じることが、イギリスの社会科学では自由に行われるようになっていて、日本でもこのような統計へと移行するようになる。

今回この著作を確認のために見たら、ピルトダウン化石人骨のねつ造事件を河上がそのまま信じて書いている箇所があった。1910年代には信じている人が多かったと思うが、1950年代にはそれが捏造であることが証明されたものである。ピルトダウン化石人骨を当時信じているかどうかは、日本に関してはあまり調べたことはないが、河上が熱意をこめてそれを展開している部分は知っておくのがいい。

ピルトダウンは、イギリスのサセックスに位置する街で、そこで1912年にチャールズ・ドーソンという遺跡学の愛好家が、興味深い遺骨を発見した。これが、後に、大英博物館学芸員であったアーサー・スミス・ウッドワードが力を添えていた。この遺骨の特徴は、サル的な骨とヒト的な骨が一つの個体に混合していることであった。顎の骨の部分はサルのものだが、頭蓋骨はヒトのものにあたるものである。このようなものが、サルとヒトの間をつなぐ「ミッシング・リンク」の発見を直接証明することであった。より広い状況でいうと、キリスト教の神がサルとヒトが異なった種族として作ったかという学説を批判することであり、進化論のサルからヒトへの移行を支持することであった。キリスト教の創造説から抜け出していくときに、ピルトダウン化石人骨は優れた証拠であるという意見が優勢なことはその通りであった。

劇的に話が変わるのは1940年代から50年代の研究の進展である。この遺骨が完全にねつ造されたものであることが明らかになった。ピルトダウン化石人骨全体が、そもそもからしてねつ造したものである。サルの骨は現代のオランウータンの骨に着色して加工したものであり、頭蓋骨は太古の人骨をこれも着色などしたものである。このでピルトダウン化石人骨はねつ造事件であると分かったのである。

河上肇が『貧乏物語』で、このピルトダウンの話をすっかり信じているだけでなく、これを彼の経済学的な論議のもとにしている。ピルトダウンにまつわる議論は、この(ねつ造された)類人猿が道具を作っていたという議論である。この類人猿(エアントロプス)は道具を作り、これは人間の経済の中心が道具であることを言っている。だから、紡績についてはその錘が大きな数になり、生産力が数千倍・数万倍になっていくという議論が作られている。