Medical Humanties vol.43(2017), no.2.

Medical Humanities の最新号である 43巻2号は、<精神医療のコミュニケーション>と題された特集号。歴史、文学、アーカイブズからの写真などの馴染み深い主題の他に、いくつもの新しい志向の論考がある。必読文献集の一つになると思う。

個人的にも読んでみたい新しい論文がある。私はまだ読んでいないが、「もし精神疾患がガンだったら?」という、非常に面白い、新しい方向への飛躍を感じさせるタイトルの論考がある。これからしばらく、精神医学の歴史の専門家ではない人たちに向かって話す機会が続くので、この論文を読んで新しいネタを仕入れておこう。

http://mh.bmj.com/content/43/2

ペンギン・カフェ 

www.erasedtapes.com

 

ペンギン・カフェ・オーケストラは、今から30年以上前、私が高校生か大学生の時に世界的に流行した「コンテンポラリー・ミュージック」。LPのレコードも何枚か持っていて、CDを買い直したりしてきた。先日、創設者の息子が「ペンギン・カフェ」という新しいバンドを作ってレコードを出したというニュースをどこかで聞いて、早速CDを買った。父親バンドとほとんど変わらない音楽で、あの時代から何が変わったのだろうと自分に問うてみたくなるCDだった。昔のCDと並べて写真を撮ってみた。

f:id:akihitosuzuki:20170527152833j:plain

 

演題募集―東アジアの植民地支配と医療(2018年3月・ピッツバーグ大学)

Call for Papers: The Intersections of Colonialism and Medicine in East Asia at the University of Pittsburgh | H-Japan | H-Net

 

2018年の3月にピッツバーグ大学で東アジアの植民地と医学についての大規模なワークショップ。カバーする主題も多様です。欧米諸国や日本の植民地となった東アジア地域の医療の歴史は、これからの成長の一つの柱ですね。

 

 

 

海洋汚染という問題

 

www.economist.com

 

エコノミストの特集記事が、海洋に対する盲目の問題を扱ったもので、とてもいい記事だったのでメモ。20世紀の後半からだろうと思うけど、環境問題への感受性は高まっている。しかし、この多くが陸上の可視的な環境に対する感度である。水面下で見えない部分に属する海洋の汚染について、私たちはいまだに感度が低い。海洋への廃棄物の投棄の規制はまだまだ色々な意味で甘い(らしい)。今世紀の中葉には、重量で図ると魚よりもプラスティックの方が多くなると予想されている。また、海洋の汚染や保全を管理することが難しい。太平洋に面している国が、いったいいくつあるのやら。

 

海洋の汚染だけでない。東京ガスの土地の地中の汚染や国有地の地下の汚染。現在の日本の大きな政治的な醜聞が、いずれも見えない部分での汚染にかかわっている。その実態を調べ、将来的な対策を考えるという難しい仕事をしている優れた学者たちが、日本の大学であれば必ずいるだろうと思っている。

新刊『性の問題群』(2017)

 
 
 
h-madness から新刊のお知らせ。著者の Paul R. Abramson 先生は、UCLAの臨床心理学の教授で、過去40年にわたって、法廷やキャンパスでにおいてさまざまな性の問題にかかわってきた。その経験をまとめた書物で、第一章と第四章は、精神病院の廃院に伴う脱施設化と、障害がある成人の性関係の合意に関する議論で、20世紀の精神医療の歴史学の研究者に有益だろうとのこと。
 
もう一つ、これは私から付け加えると、Kindle Unlimited に入っていると、この書物を無料で読むことができる。これまで使い方がよく分からなかった Kindle Unlimited だったが、この本が無料で読めるのは素晴らしい。冒頭のエピソードも素晴らしい。1970年代の脱施設化の真っただ中に、アカデミック・ジョブを探している若き臨床心理学者が最初の仕事を手にしたときのエピソードである。色々なメッセージがありますが、吹けないハーモニカを持っている面接担当教授には気をつけるように(笑) 

ソ連のTV上の集団催眠について

www.atlasobscura.com

 

旧ソ連末期の集団催眠療法について。1989年の10月に、ソ連のTVで奇妙なプログラムが連続して放映された。アナトリ・カンピロフスキーなる心理療法士が、TVで行った、ソ連の市民に向けられたセアンスだった。カンピロフスキーがTVに現れて、心を無にして、野心や目的をすべて忘れ、目を閉じて心を自由にするように、手には水がはいった盃をもち、自分が送るバイブレーションを受け取るように静かに語り掛けるものであった。カンピロフスキーはもともと臨床心理学者で、著明になったのは、ソ連の重量挙げチームの診療的な指導で好成績を上げてからだった。

1988年から集団心理療法などを行っていたが、1989年のこの時期には、ソ連の体制の崩壊に対応するため、ソ連の市民を落ち着かせるプログラムであったと考えられる。この時期、東欧は激動し、ベルリンの壁が崩壊して、ソ連の影響が崩壊していた。ソ連共産主義が指導する合理的な世界が破滅しつつあった。それに対して、ソ連の市民を暴動や自棄的な行動をさせないための、集団的な心理療法であったと考えられる。旧ロシア、ソ連、現在のロシアと、オカルトと神秘主義の伝統が強い。ことに、旧ソ連は、唯物論の哲学を奉じながら、神秘主義の影響があちこちに見られるという。カンピロフスキーの集団催眠は、その20世紀末の一つの現れらしい。

博物館と医学史博物館の歴史 

ロンドンのウェルカム図書館のブログより。今回は博物館の歴史と、ウェルカム図書館の歴史について。

博物館は、もとは16世紀の王、貴族、教会有力者などの個人的なコレクションをもとにして、18世紀末のフランス革命以降、人々にあるべき教育を与える civic engines として構想された。19世紀の後半には、ある都市に文明化されるときに博物館と図書館が必要なのは、下水、警察、公立精神病院が必要なのと同じような意味であるという台詞で決めた。ロンドンでテート・ギャラリーがミルバンク刑務所の隣に作られたのはそのような意味がある。

ウェルカムのコレクションは、成功した製薬業者であるヘンリー・ウェルカムの個人的なコレクションであった。このコレクションは、基本的には進化論の発想を基盤にしており、ヨーロッパはもちろん世界各地のさまざまな医薬に関するコレクションを、未熟で野蛮なものから科学知識と洗練に基づいたものに配列されている。このようなコレクションの基本発想自体をどう扱うかは、これからの議論の一つの焦点になるだろう。

日本における医学史の研究も、知的・学問的な議論の発展である方法論や分析の視角などの研究の進展と並行して、より具体性と現実性を持つ仕組みである、医学史を研究しその成果を共有するための素材の収集と考察、インフラストラクチャーの形成、そのような研究メカニズムのメタレベルの分析などを走らせる時代に入っている。このブログと Facebook, Twitter での発信は私自身がおこなっているささやかな試みとなり、また日本学術振興会から資金を得て「医学史と社会の対話」というサイトを始めた。この方向での発展が結実するように、がんばります。

 

「医学史と社会の対話」は以下のサイトです。

http://igakushitosyakai.com/

 

 

next.wellcomecollection.org