医学史と社会の対話ー新しいフォーマット

日本学術振興会から資金を頂いておりますウェブサイト「医学史と社会の対話」。新しいフォーマットになり、ずっと見やすく使いやすくなったと思います。皆さまにご覧になってほしい部分は多いのですが、まずは<医学史関連リンク>をご覧ください。国内と国外の医学史に関連あるウェブサイトに関して、日本語の翻訳と解説をつけて一覧にいたしました。新しい水準の日本と欧米の医学史に触れてください。

 

igakushitosyakai.jp

政党支持の深い断裂について

昨日のエコノミストプーチンに関する記事と連関する記事について。これは少し前の Prospect の In fact で取り上げられたことである。

 

1960年のアメリカの共和党民主党と、2010年の両党の対立の意味合いについての面白いデータ。それぞれの政党の支持者に、自分の息子や娘が、別の政党の支持者と結婚したら不愉快に感じるかどうかということを質問した。1960年には共和党支持者の5%、民主党支持者の4%が不愉快に感じると言っている。2010年には共和党支持者の49%、民主党の33%が不愉快に感じると言っている。共和党の方が不愉快に感じる人が多いということも重要なことだが、約50年で、政党支持がどれだけ深い断絶の中で生きるようになったのかということを知らせている。

 

深い断絶の感情をあらわにすることが良いという人もいるだろう。中道を好む人もいることも同じような真理だと私は思っている。

 

Prospectによると、Vox 12th July 2017 が参照されている。

プーチンと西欧・アメリカの民主主義と政治・マスメディア・学術の問題について

www.economist.com

 

エコノミストの特集記事。プーチンとアメリカの民主主義の関係について。エコノミストも重視している問題である、政治とマスメディアと学術の領域での、不信感の増大煽りを取り上げています。「奴らは卑劣なことをしている」という御旗を掲げて、それを信じて身の回りに味方や同志が増えることを目標にする人々。その<成功>と共に、社会の分裂が深まり、まるで経済発展がない冷戦時のようなものになっていきます。そうではなくて、その将来的な価値を信じることができる何かを作るのが、私たちの世代の仕事だと私は信じています。

20世紀前半の医学一般誌について

19世紀末から医学の広報誌のような雑誌がある。もちろん医学の学術上の論文も掲載されたのだろうが、いま医学の世界で何が起きているかという政治的なことが議論されることも多かった。そのような世俗的な情報や視点が共有される大切な媒体である。私自身はあまり重点的に使ったことはないが、このような雑誌のさまざまな方向性を、どこかできちんと知っておく必要がある。今の日本で週刊文春AERA の二つの週刊誌はおそらく何かを知っておいて読んでおくと分かりやすいのと同じである。 ちょっと調べると、そのような系列の雑誌としては以下のようなものがある。これらを、一度整理する必要があるのかもしれない。あるいは、すでにいい研究があって私が知らないのなら教えていただければ。
 
東京医学会雑誌
中外医事新報
東京医事新誌
日本医師新報
日本女医会新誌
医海時報
医事公論
医事新誌
医事新聞
医事新報

オスカー・ワイルドの父親が医師の技術を利用した性的暴行について

O'Sullivan, Emer. The Fall of the House of Wilde : Oscar Wilde and His Family. Bloomsbury, 2016.
Colm Toibin, "The Road to Reading Gaol", LRB, 30 Nov 2017.

麻酔法の著名な開始については、1846年のアメリカで始まり、すぐにヨーロッパに広められたことが古典的な地位である。日本では、それよりも40年以上前に全身麻酔を導入した華岡青洲の利用が著名である。先日古代エジプトの医学の記述を読んでいたら、頭蓋骨を切る開頭術があって比較的頻繁に行われ、手術のあと成功した例などを根拠にして古代に麻酔法があるというような記述があった。まだ何が基準になっているのか、私にはよくわかっていない。

面白いのが、男性の医師と女性の患者の関係で、男性が麻酔を用いて女性患者の意識を奪い、その間に性暴力に及ぶケースの事例である。日本だと、大正期にいくつか有名なケースがあったが、いまちょっと調べだせない。アイルランドの著名な作家で男性同性愛者であったオスカー・ワイルドの父親である Sir William Wilde (1815-1876) が、女性の患者に麻酔を用いて無意識にさせ、その間に彼女に性的な暴行をしたという訴えをされている。訴えがあったのは1864年で、女性の名前は Mary Travers である。ダブリンの法医学の教授の娘であり、ワイルドが耳鼻科の専門家であったため、ワイルドに1861年に指南してもらう。それから二人の間は異様に親密になっていき、色々とあって、トラヴァースは1864年に訴訟を起こし、その中では1862年にワイルドの診断中に麻酔を用いて意識をなくし、その間に性的に暴行されたというものであった。この訴えは、当時の発想に基づくと、難しい立論をしなければならない。1862年に性的暴行があり、それから二人は恋人になり、しかし1864年に、あれは暴行であったと初めて主張されるという主張である。性的暴行―恋人―訴訟というやや無理な発想に基づいており、当時の法定は、暴行ではなくて合意に基づいていたと判断している。

ただし、性の関係においてあれは暴行だとか、だから有罪であることを証明するためには、smoking gun (決定的な証拠)が必要である。そんなものは性に関しては普通は入手できない。

ハンセン病と精神疾患 ーJ.R. キプリングの作品より

須永朝彦編集. 江戸奇談怪談集. ちくま学芸文庫筑摩書房, 2012. 
 
東雅夫須永朝彦が編集した怪奇作品の傑作集があり、医学史家としては手元にあるレファレンスとして便利である。東による『怪奇小説精華』に、J.R. Kipling が書いた The Mark of the Beast という短編が面白い。1890年に刊行されたもので、ハンセン病精神疾患が、インドの宗教と社会と帝国主義の重ね合わせの中でおどろおどろしい姿を描く話である。
 
登場人物は、イギリス側には4人いて、「私」という物語の語り手、ストリックランドという警視隊でインド通の人物、デュモワズという医師、フリートというインドに遺産があってそれを処理しに来た軽薄で酒飲みの人物である。インド側で本当に重要なのは、ハンセン病の患者でサルの神さまハヌマンの寺院で乞食をしている人物である。
 
フリートが酒を飲んでハヌマンの寺院で神像に不敬な真似をしたところ、人々が騒ぎを起こしはじめた。その時に、ハンセン病患者で症状が重篤になっており、顔は崩れて目鼻も見えないものが、自分の頭をフリートの胸に当てた。それによって、彼についていた悪霊をフリートにつけたのである。フリートはストリックランドの屋敷に行き、ストリックランドの頼みで「私」も一緒にいると、フリートは人間性を失い、狼へと変化していく。最初は血が出る生肉の要求、胸に不思議な薔薇模様の腫れものが現れ、フリート自身の馬も彼を恐れるようになる。医師を呼ぶと、医師はこれは狂犬病であり、もう助からないという宣言をする。ストリックランドは、ハヌマンの寺院にいたハンセン病患者が自分の屋敷の周りを歩いているのを知り、彼を捕まえて灼熱の鉄身で強制して、彼がフリートにつけた悪霊を取り除くように命令して、それが成功した。フリートの狂犬病あるいは獣になる疾病は、ハンセン病がつける悪霊が起こし、それを取り除くことができたという話である。